年明けはハプニング続き
妊娠中期も終わりの1月、日々重くなるお腹を抱えつつ、仕事の引き継ぎがようやく始まりました。子供が家に二人いると帰宅後は子育てに追われる日々ですが、仕事もかなり忙しく、「限られた時間でどこまでやれるか」というのがカギの1月でした。1月5〜6日の公現祭が終わった後、1月10〜12日には出張もあり、その準備も加わって仕事でも家でもバタバタしていました。その前には救急病院で念のためお医者さんに診てもらったり…そんなこともありました。
無事に準備を終え、10日には夫に子供たちを預けて出張に。夫に感謝しつつ、バルセロナに行きました。バルセロナの同僚や上司が色々と気を遣ってくれ、夕飯やお茶を一緒にいただけたこと等が本当に嬉しかったです。仕事の面でも色々な収穫があり、有意義な滞在となりました。
・・・が、そこから思ってもいないことが色々起きてしまいました。
①お手伝いさん失踪事件
なんと、月曜の朝に夫から電話がかかってきて、「M(お手伝いさんの名前)が来ないんだけど、何か連絡入ってる?」とのこと。何と、いきなり何の連絡もなくお手伝いさんが休んでしまったのです。私も出張先ですし、残念ながら何もできません。急遽夫が娘を学校に連れて行くことになり、普段はまだ寝ている息子も起こして何とか準備をしてくれました。(そういう時に限って息子が体調を崩してベッドにもどしてしまったりして、本当に大変だったようです。)そんなこんなで、夫は私がいない二日間、自宅で仕事をせざるを得ませんでした。もちろん、息子と一緒では真面目に仕事をするのはかなり難しく、娘の友人のママの協力も得て、息子を公園に連れて行ったりしてもらったようです。
私が帰宅した12日、夫がホッとした顔をして「ようやく帰ってきてくれた!」と言ったのが印象的でした(笑)
その後、Mからは何の連絡もなく、電話もつながらなければメールを送っても返信がなし。このやり方には正直怒りを覚えましたが、文句ばかりは言っていられません。私はすぐには休みをとれず、13日も夫が息子と残り、急遽息子の為の保育園探しです。14日には私が休みを取り、息子と一緒に保育園に行き、そこで話を聞いて次の週から息子を保育園に預ける手配を整えました。今まで家にいた息子がいきなり朝の9時半から午後5時半まで保育園ということで、息子にとっては天変地異です。ちょっと可哀想な気もしましたが、マイペースで元気な息子らしく、初日から自ら中に入っていきました。(三日目は夫に「パパー」と言ってちょっと泣いたようですが、すぐに泣きやんだとのこと。)息子の適応力の高さに感謝です。
さらに、14日は娘の誕生日・・・こういう時に限って色々なことが重なるものです。12日に帰宅してから、私も休む間も無く家の片付けや洗濯、買い物といった仕事に追われ、仕事では上司との月次ミーティング、急遽始めたお手伝いさん探しの作業、さらに娘の誕生日の準備やらで、妊娠の疲れどころではありませんでした。最初は「よーし、私が帰ってきたし頑張るぞー!」と元気いっぱいで、色々な仕事を片付け、家族皆がちょっと落ち着いてきたのが分かって嬉しかったのですが、現実はそんなに甘くありませんでした。次第にエネルギー切れを感じ、夜はお腹の赤ちゃんが動いたりでロクに眠ることもできず、明らかにやつれた顔をして仕事に行って皆に「どうしたの?」と心配されてしまいました。
それでも、娘が自分の誕生日を楽しく過ごせたことは、母親としてとても嬉しかったです。そして、夫も私も疲労困憊の顔の家族写真が一枚できました。去年より随分お姉さんになった娘を見て、一年の速さをしみじみと感じました。
②階段転落事件
仕事と並行してお手伝いさん探しを始め、疲労がピークに。以前のブログでも書きましたが、お手伝いさん探しは色々な手段を使って行われます。友人やその友人の家で働いていた人、以前のお手伝いさんの推薦する人、ということもありますが、私たちは沢山の人を短期間で見て選ぶようにしている為、色々なサイトも利用しました。今回利用して良かったのは“Top Nanny”というサイトです。それぞれの人の働ける時間、自分たちの住所から近い場所かどうか等の条件で絞り込むことができ、面接をする前にフィルターにかけることができます。そのサイトの提供するサービスにさらに詳しい情報を載せてもらうといくらか支払うことになりますが、その金額もリーズナブルで使いやすかったです。
朝私が起きて朝食の準備をして子供達を起こし、できる所までしてから大急ぎで出社。そこからは夫が娘を学校に、息子を保育園に送って急いで出社。(もちろん、朝食のテーブルを片付ける暇もありません。)その後、私が仕事を終えてから買い物をし、その後に走って娘を迎えに学校に行き、息子を迎えに保育園に行ってから3人で帰宅です。子供達と一緒だと買い物はとてもできない為、その前の10分位が正に勝負です。帰宅後は朝食のテーブルを片付けることから始まり、食事の準備、掃除、子供達のお風呂、片付け、娘の学校の宿題のお手伝い等をし、ようやく子供を寝かしつけてからお手伝いさん探しのサイトを見て返事を書く、という日々が続きました。また、子供達が一緒になると走り始める為、私も後を追って走らざるを得ず、買い物袋と重いお腹を抱えてのハードな日々でした。
もう限界を感じ、夫の勧めもあり、掃除のお手伝いさんに一週間に一度来てもらうことにしましたが、彼女に来てもらわなかったら途中で体調を崩していたと思います。
ようやく面接等を終えてお手伝いさんを決めた後、以前から予定していたルクセンブルグの義理の両親の家に行ってきました。今回は義両親が近々家を売るということで、その前に皆で過ごすのが目的だった為、落ち着いた滞在となりましたが、これだけバタバタしている間に荷造りもあり、しかも到着は金曜の仕事の後。(息子は保育園から直接ジャージで空港に。)ルクセンブルグに到着した時には夫も私も息切れ状態でした。彼らが子供達の面倒を見てくれ、私たちも久々に休むことができ、本当に素晴らしい休暇となりました。(初日、私は13時間も寝てしまいました。)
そして、義理の両親の家でゆっくり休んで元気になってきた運命の2月2日、何と家の中の階段で足を滑らせ、尾てい骨を何度も打つという事件が!痛みで動けなくなり、少しの間突っ伏して呻いていましたが、夫はその私の格好が滑稽だったようで笑われました。(何とひどい!)
その後、階段を上ることも苦しくなり、寝る時には仰向けになれず、次の日からも動きに支障が出るようになってしまい、かなり不安になりました。とは言え、今スペインに飛行機で戻らないと妊娠後期には飛行機に乗ることもできなくなる為、「何としても戻らねば!」とちょっと無理をして我が家に戻りました。長時間座った姿勢でいるのは辛く、この旅もかなりの我慢大会でした・・・。
スペインに戻った次の日、妊娠中ということでレントゲンは撮れないものの、青あざの箇所や大きさ、痛み等から「おそらく尾てい骨と骨盤の一部にヒビが入ったのでしょう。」と言われ、急遽仕事をお休みすることになりました。今はだいぶ痛みが取れてきましたが、それでも長時間座っていることはできず、整骨院で勧められたドーナツ型クッションをいつも持ち歩いています。外で出すと皆に注目されますが、健康の為には仕方ありません。病院に行くにしても、常にスーツケースにこのクッションを入れて移動です。(そして、皆に「これから旅行?」とよく聞かれます。)
③入院事件
新しいお手伝いさんに子供たちも馴染んできた3月、どうも下腹部の内側が痛むのが気になってきました。念のため救急病院に行くと・・・思った通り陣痛がかなりの間隔で来ており、切迫早産の危険性ありとの診断。急遽検査入院となりました。お手伝いさんが子供と一緒にいてくれるから良いものの、そういう時に限って週末は夫が家を留守にすることになっており、さらには子供達二人ともが猩紅熱にかかったりしていたので、一時はどうなることかと思いました。長男を妊娠していた時にこの切迫早産の恐れありとなった為、だいたいどういうものかは分かっていましたが、頼れる家族や兄弟が近くにいない時には子供達の世話をお願いする人がなかなかおらず、やり繰りが難しい部分もあります。
夫が急遽職場から帰宅し、必要なものを持って駆けつけてくれました。ですが、歯ブラシをお願いしたら私のではなく自分のを持ってくる辺りで、「やはり男の人には頼めないなぁ」としみじみ思ってしまいました(笑)
幸い、息子の時は予定日の2ヶ月以上前でしたが、今回は予定日の1ヶ月ちょっと前ということと、そこから陣痛の頻度が増えなかったことを理由に、入院から自宅安静に切り替えてもらいました。ほとんど動くことはできない状況ですが、それでも私が入院となって子供達がしょぼんとしていたので、帰宅して一緒にいられることに感謝です。毎日シャワーを浴びることもできますし、夫も仕事の帰りに病院で時間を使う必要もない為、皆にとって良い結果となってホッとしています。
お休みの間(出産前)に歯医者に行ったり娘を病院に連れて行ったりしようと思っていましたが、そういうのも全てキャンセルです。残念な気もしますが、今は赤ん坊の成長が一番の仕事と思い、自宅安静で過ごしています。
自宅安静になって実感していることは、以下の点です。
⚫︎しっかり休める
当たり前のことですが、仕事と家事をフルにこなし、睡眠を十分確保するのは至難の技。特に、つわりがひどい時期や赤ん坊がお腹を蹴って元気に動く時期には、普段の睡眠時間では疲れが全然取れません。疲れた時にちょっと横になれるというのは本当に贅沢なことです。
⚫︎他の人に時間を割ける
メールやメッセージをもらっても、子供を寝かしつけた後に返事を書く時間も体力もなく・・・という日々が続いていたので、自宅安静になってからそういった人達に連絡が取れることが嬉しかったです。ただ、中には毎日何十通もwhatsappのメッセージをグループ宛に送るような人もいるので、そこまで時間を無駄に使ってはいけないと自分をコントロールするようにしています。
⚫︎異なった立場で周囲を見られる
往往にしてあることですが、私たちは自分が一つの立ち位置から動かなくなると、自分のやり方が一番正しいように感じたり、周りのやり方に批判的になったりすることがあります。私自身、仕事に邁進している時には、主婦がずっと食事や子供の話をしているのを聞いて、「なんだか狭い世界だな」と思ったこともありますし、子供の話しかしない人とずっと一緒にいると疲れてしまったりしたこともあります。(私自身子供がいるわけですが、職場では子供がいない人もいるので、子供の話ばかりする人を見ると、ちょっと自分中心のように感じられたのかも知れません。)
でも、今回妊娠中に色々なハプニングを経験しながら仕事を続け、仕事に対する体力も集中力も低下していることを感じた時、「世の中、ある程度の条件が揃わないと仕事に邁進なんてできないんだなぁ。」と実感し、残業や高水準の仕事を期待されてもできない、あるいはあまりする気がない女性に対し、以前より自分の中での「厳しさ」が減ってきたことを実感しました。
そういえば、私の娘は予定日2週間前に生まれましたが、その前日にお休みをもらって職場を去る際、古参のスペイン人女性達に「私たちの頃は、それこそオフィスで産気づく人もいたし、最後の最後まで仕事をするのが当たり前の世界だったわ。あなたの顔はまだ出産するっていう感じじゃないわよ。」と言われたことがありました。彼女達にとっては、「自分たちは強かったけど、最近の女性は甘い」「プロというのは、最後の最後まで仕事に責任を持つべき」という立場に立脚しての発言だったのでしょう。それぞれの人にとっての視点は違うという良い例だと思います。
今回予定日の2ヶ月以上前からお休みをいただくことになり、直属の上司には非常に申し訳ないという気持ちはありますが、普段は経験できない「半専業主婦の立場」「子供に落ち着いて時間を割ける立場」「子供の学校の保護者と密に連絡を取れる立場」等を経験できたことは貴重でした。同時に、「無理して頑張るというのは日本でいうほど美徳ではない」「まずは自分の体力や体調を考慮する」「家事には夫の協力が必要なのではなく、夫と妻の仕事に家事が含まれる」等も実感しました。
ということで、「災い転じて福となる」とまでは行きませんが、自分なりに色々なことを考えるきっかけになった休みでした。
<追記>
1月に娘の誕生会を開いてお友達を呼ぼうとしていましたが、これらのハプニングのせいで何度も延期になり、夫の協力を得て、つい先週ようやく開催することができました。近くのショッピングモールの中の映画館に娘の友達を招待し、「カンフーパンダ3」を鑑賞。(日本では今年夏に公開予定だそうです。)その後にモール内のレストランにておやつ。さらに、その中の親しい保護者ファミリーを我が家に招待して軽くディナーというものでした。
私は準備作業では「動かなくてすむ部分」を担当。娘の友達にあげるお返しのプレゼントの準備、映画館のチケットの手配、ディナーテーブルのセッティング等をしました。
夫は娘と息子を連れ、皆にあげるお返しのプレゼントを持って外出。皆にチケットを配ったりし、レストランで皆の注文を手配し、そこから親しい保護者ファミリーを我が家に連れてくるまでの作業を担当してくれました。さらに、外出前にある程度料理も準備してくれたので、お客さんがきてからもスムーズに事が運びました。
娘は友達からプレゼントをもらい、家で仮装をしたりお絵かきをしたりして大満足。保護者が食事をしている間も子供達は賑やかに遊び続け、結局皆が帰ったのは夜中の12時半でした。私たちも子供達もくたくたになりましたが、娘にとっては本当に楽しいひと時だったようです。
これにて、出産前のイベントが一通り終わったことになります。誕生会開催を2ヶ月も延ばすことになり、娘には申し訳なかったですが、それでも文句も言わずいつも赤ちゃんに話しかけてくれた娘に本当に感謝です。娘が大きくなってからも、この誕生会が楽しい思い出の一つとして残っていますように・・・。
妊娠はいいですが、仕事はまあよく休みましたね。
>gさん
本当によく休んだと思います。
そして、そういう中でも理解を示してくれた職場の同僚や上司には非常に感謝しています。