Haruki's way

〜スペイン・この不可思議な国〜

イースター休暇2 サラマンカ

プラテレスク様式で有名な大聖堂

プラテレスク様式で有名な大聖堂

イースター休暇に行った都市第二弾。サラマンカ。サラマンカはマドリッド県ではなく、カスティーヤ・レオン(Castilla y Leon)県というマドリッド北西の県にあり、ユネスコの世界遺産に街自体が登録されています。マドリッドからはバスで3時間。ちょっと長旅ですが、やはり行く価値はありました。

ここではイスラム建築やゴシック建築の影響も見られますが、特に有名なのがスペイン発祥の「プラテレスク(plateresque)様式」というもの。ルネッサンス初期にスペインで使われた様式で、その後新大陸の植民地にも広がりましたが、精巧な装飾が壁にたくさん施されています。グラナダやセビリアでも見る事ができますが、サラマンカにはこのプラテレスク様式で有名な建物が複数あり、本当に見応えがあります。

サラマンカの歴史は非常に古く、紀元前220年にはこの都市がハンニバルによって掌握されたとあります。世界史の授業が懐かしい。。。ローマ帝政下では銀の交易地として栄え、その後イスラム教徒によって奪われて、最後にはレコンキスタでキリスト教圏に。波瀾万丈です。カスティーヤ王国イザベル王女の下で繁栄しました。

サラマンカ大学。

サラマンカ大学。

ここにあるサラマンカ大学はスペインで一番古い大学で1218年創立。オックスフォード大学やボローニャ大学に並ぶ権威のある大学だったそうです。(今はスペインの大学の知名度は中南米でしか知られてないような・・・)

ちなみに、今でもサラマンカは一番美しいスペイン語を話す場所と言われ、語学留学には向いているという話も聞きました。確かに分かりやすい話し方をしているとは思いますが。。。スペイン人は皆自分の街に誇りを持っているので、どの人も自分の街を薦める可能性は大です(笑)

Plaza Mayor

Plaza Mayor

スペインのだいたいの街に一つある「大広場(Plaza Mayor)」はここにもありますが、私はマドリッドの広場よりサラマンカのものの方が小さいけれどキレイだと思いました。カテドラルも大学の建物もどれも素晴らしかったですが、私たちがちょうどイースター前の聖金曜日(キリストが十字架につけられた日)に行った為、それに関する宗教行事が至る所で行われていたのが感動的でした。

Pasosの様子

Pasosの様子

スペインでは、聖金曜日からキリストの受難(procesion)の様子を木彫りにしたお神輿(pasos)が使われ、衣装をまとった人達がそれを担いで街を練り歩きます。ちょうどその衣装がKu Klux Klanのような感じで最初はびっくりしましたが、それぞれの教会やpasosの種類によって人々の着る衣装が異なっていて、改めて宗教が土地に根付いていることを実感しました。このprocesionを眺める為に観光客と地元の人が教会の前に沢山押し寄せ、像が通る時には敬虔な面持ちで祈りを捧げたり、じっとキリストや聖母マリアの苦しみを思い起こしたりする、というのはヨーロッパの他の地域ではまだ聞いた事がないです。すごくスペインらしい文化かも知れませんね。

外で行われたキリストの受難のミサ

外で行われたキリストの受難のミサ

あと、サラマンカと言えばカエル探し!聞いた事があるかも知れませんが、古いカテドラルの近くの大学の壁に、それはそれは細かい彫刻がされているんです。その中に一匹カエルがまぎれていて、このカエルを自分の力で見つけた人には幸運が舞い込んでくるとか。さらに、スペインでは1年以内に結婚できるという話も!昔はこの「1年以内に結婚」が幸運の象徴だったのでは?

カエルを探す人達

カエルを探す人達

私は周りの人の協力を得て無事に発見!

ドクロの上にあるのがカエル。分かるかしら?

ドクロの上にあるのがカエル。分かるかしら?

でも、、、一人じゃあんなの見つからないー!!見てもよく分からなくて、デジカメで撮って拡大してみて、それでも「これがカエルかのう???」っていう感じでした。。。

あとは、意外や意外、ここにアール・ヌーボー&アール・デコの美術館がありました。外見からも目を惹くのですが、中に入ってみてびっくり。美しいステンドグラスの天井、開放感のある設計、エミール・ガレのランプや香水瓶、美しいジュエリー、、、本当に見応えがありました。これに2ユーロは安すぎる!

この美術館に興味のある方はこちらをどうぞ。Casa Lisと呼ばれています。

帰りにはこの街で有名なミートパイ、「オルナソ(Hornazo)」を買って帰りました。中にはチョリソやスペインのハムが入っていて、すごく美味しかったです
一日使って見物したサラマンカ、あともう一日位あればもっと見られたかな?と思いつつも、充実した旅で大満足でした。土地の人も親切で、一度は訪ねてみることをお薦めします☆

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8 Comments

  1. 世界史の授業…!
    世界史は、こうして、あとあとまで使える知識が残る授業で、良いよね。
    カエルの彫刻は、全体で1匹なの?それなら、探せる人は、本当に凄いね!Harukiも、周りの協力があったとしても、凄いね!今年は、良いことがたくさんありそうだね!

  2. ねこどん
    そう、カエルの彫刻は全体で一匹!
    助け無しに見つけたかったら、本当にハシゴかけて登ってみなくちゃダメだと思うよ(笑)
    >今年は、良いことがたくさんありそうだね!
    とりあえず、変化はまたいっぱいありそうだよ
    またメールするね!

  3. 1200年代から大学とか専門知識、高等教育の思想があることがすごいですよね。
    そしてチョリソーとハム、食べたくなっちゃったのでムシャムシャv
    スペインかなり行きたいぞー!ねこ一緒に行こうよー!

  4. にョッきちゃん
    おいでおいで。やっぱりヨーロッパの音楽を学ぶには歴史と文化が必須ですわよ、お嬢さん。
    そして、スペインのキリスト教文化は一度見てみると面白いと思うよ。
    そうそう、スペインにグレゴリオ聖歌を生で歌う修道院が二つあるんだけど、今度それを見に行こうかと計画してるの。
    また連絡するね☆

  5. 素晴らしいわ
    サラマンカと言えば、若い頃読んだ辻邦生氏の小説で『サラマンカの手帖から』と言うのがあり、憧れてました!
    それに去年の夏読んだ岡田裕成氏の『南米キリスト教美術とコロニアリズム』の写真で見たカテドラル建築が、Harukiさんの↑でおっしゃっているプラテレスク様式(?難しい(^^ゞ)だったんですね!
    そしてカエル
    なぜ教会の壁にカエルなんでしょうか?カエルってスペインで何かシンボルとしての意味があるんですか?
    上記の岡田氏の本では、「人魚」がいろいろな意味を持って飾られていたようですが。。。。
    ガラスの美術館といい、ピエタ(南米でもこういうお祭りありましたよね?)といい、スペインは文化が深いですね!

  6. ヨーロッパの教会建築は、素晴らしいとしか言いようがありません。
    中に入ると荘厳な気分にさせてくれますね。 空間の大きさに圧倒される
    からかも知れません。
    ピエタは、イタリア語でも「慈悲」とか「あわれみ」みたいな意味だったと思います。 
    数年前にイタリアに行った時に、バチカンとフィレンツェで、
    ミケランジェロ作のピエタのうちの2点を見てきました。
    涙が出るくらい素晴らしいです。
    そして、広場もヨーロッパの都市計画の文化の基本アイテムですね。
    カエルといえば、ガウディのグエル公園にも何かありましたよね。
    トカゲかな?

  7. プリンさん
    カエルの意味・・・知りませんねぇ
    きっと何か意味があるとは思うんですが。。。
    ちなみに、サラマンカの大聖堂の壁は90年代に修復された部分があるんですが、そこには何と宇宙服を着た人までいて、「数世紀前に予言されてたのかしら?!」なんて感動して騙されちゃいました(笑)
    そういえば、メキシコのケレタロ(Queretaro)という街を歩いた時にもカエルの石像がいっぱいありました!ラテン美術のつながりかもしれないですね。
    >スペインは文化が深いですね!
    本当にそうです。
    そして、こっちの人は日本ほどマーケティングやプロモーションをしないので、ふらりと立ち寄った無名の場所に素敵なものが
    っていうことがすごく多いですよ(^^)

  8. 鑢さん
    そうですね、本当に教会が村/街の中心だったということを感じずにはいられません。
    後は、街の中心にいつもある広場。
    スペインではどこも似たりよったりですが、それでも建築の奥深さをいつも感じます
    ミケランジェロのピエタをご覧になっているとは!羨ましいです☆
    私はまだイタリアは行った事がないんです。
    食事も文化もスバラシイというイタリア、今度は是非行きたい場所ですね
    >カエルといえば、ガウディのグエル公園にも何かありましたよね。
    >トカゲかな?
    あ、トカゲですね。
    実はまだバルセロナも行ってないです・・・
    鑢さんはデザインつながりでご存知かも知れませんが、ガウディの作品のほとんどは自然から発想を得ているんです。
    そして、彼の作品があれだけ受け入れられた背景には、やはり良き理解者&パトロンがいたからだとも言われています。
    ちょうどカタルーニャのナショナリズム勃興期と彼のオリジナリティの高い作品が広まった時期が一緒で、そこから彼を支援する動きが高まったという話です。
    ちなみに彼は清貧の人で、亡くなった時に誰も彼だとは思わず、身元確認で一日近くかかったとか。色々謎が多い人ですね。