5年を経て
昨日、ちょうど母が亡くなって5年になりました。私自身の気持ちの整理もようやくつき、節目ということで、ちょっと個人的な内容ですが書かせていただきます。
私にとって母は本当に身近な存在でした。私の姉は理数に強く、兄は文学と理数の中間をいく感じな中、バリバリ文系(非理系とも言う・・・)の私と母は文学や語学等に対する興味がとても似ていて、同じ事を一緒に口走ることもあり、色々な部分で共通点がありました。性格も、誰とでも仲良くできて嫌いな人ができにくい反面、気がつかないうちに無理をしたり辛いことをためこみやすい部分等がすごく似ていた気がします。
その母が癌と診断されたのが2002年の秋。それから1年の闘病生活の後、2003年の10月に母は亡くなりました。それから1年以上、家族にとってこれ程辛い時期はないという時期を送り、私自身仕事から離れると大変な治療を続けている母の姿が思い出され、本当に涙なしには過ごせない日々を送っていました。父を支えようと頑張りつつ、自分も母を亡くしたことで普通の状態ではなく、現在の夫とも当時は遠距離で・・・と、本当に今考えると八方ふさがり状態でした。
でも、これではいけないと思い、大学時代に勉強したフランス語を再度習い始め、世代を超えた素敵な人達と知り合い、色々な哲学の本を貸していただき、様々な気付きを得る事ができました。支えてくれる友人の有り難さも実感しましたし、仕事では職場の上司が理解してくれたお陰で無理をしないですみました。
辛かったですが、こういうことを通じて人の優しさに触れ、自分の内面を見つめた数年だったと思います。
母が亡くなって3年位経って、ようやく闘病で苦しんでいた頃の母の記憶が薄れ、全力で子育てをしてくれ、私達にたくさんの愛情を注いでくれた母の記憶、幸せだった頃の記憶がたくさん思い出されるようになりました。そして、特に最近になってから、私の母というだけではなく、色々な苦労をしながらも精一杯生きた一人の女性として、母の人生全体を眺められるようになってきたような気がします。もちろん、母も人間ですから色々な欠点があったのだとは思いますが、それでもできるすべてのことをして私達を育ててくれたことを感じますし、自分は素晴らしい両親に育てられたなぁ、と改めて感謝の気持ちでいっぱいです。私は昔からやりたいことをさせてもらえ、勉強をしなさいと言われたこともなく、とにかく愛情をたっぷり注いでもらっていたと思います。願わくば、自分の子供にも余裕を持って同じように接してあげたいです。
今、母が今まで詠んだ俳句を家族で選定して本にする作業を進めています。生前母と親交の深かった友人や母の兄弟を中心に、色々な人にその俳句と写真を合わせた句集を送る予定です。最終的に載った句だけでも250首程度あり、作業も数年がかりとなりましたが、母の優しい視点で書かれた俳句を読む度に温かい気持ちになり、苦労して全部の俳句を編集して本当に良かったと思います。
母の最期の句は、亡くなる数日前に書かれたものです。
「ざくろ実る この一日の幸せよ」
肺も癌に冒されて息ができず苦しい中、幸せを句に詠みあげた母を、やはり私は尊敬せずにはいられません。そして、母が願ってやまず、そして実現しなかったヨーロッパ滞在を、今私が母と一緒に体験しているんだな、と感じています。
5年前に母が亡くなった時はとても辛かったですが、5年を経て、私は母に育てられた世界一の幸せ者だと思っています。
お母様のお話、今回始めて伺いましたが
Harukiさんが素敵な女性なのは、お母様の愛があったからなのかな、と感じました^^
私も母が大好きで(私の母は健在で実家・山口に居ます)
「尊敬する人は?」と聞かれたら、母だと答えるくらいに誇りに思っています。
いつも元気な母が病気になったりすると、「居なくなってしまったらどうなるのかな・・・」と心配になることがあります。
そして、そんな仮説を想像することさえ怖くて出来ません。。。
大好きな祖父が亡くなった時(数奇なことに、今年が五回忌でした)には
老衰で体のあちこちが蝕まれている祖父を病院にお見舞いに行きながらも
いずれ来る死から目を背けていた自分が居たのだと気付きました。
お母様を亡くされたHarukiさんの悲しみは私には想像できないくらい大きいのだと思いますが
亡くなられてもなお、句集を作成されたり
お母様の人間関係(繋がり)を大切にされたり、と
きっとお母様も喜ばれているでしょうね☆
あの世とか、輪廻とか、人が亡くなった後の考え方は色々あると思いますが
肉体は滅びても、こうして家族や友人の心に残って語られることで
その人は完全に居なくなったわけではないと、私は感じます^^
素敵なお母様のお陰でHarukiさんと出会えたのだと思うと、私も
お母様に感謝の気持ちでいっぱいです。
自分の母親のような母親に、お互いなれるといいですね^^v
私はハルポンのお母様にお会いできなかったけど、ハルポンや、ご家族の雰囲気から、とっても優しくて、強くて、素敵な方だったんだって凄く感じてました。
一度でもお会いしたかったなぁ。
でもお母様のスピリットはハルポンにしっかり受け継がれているのを私は何時も感じてますv
きっとお母様もハルポンが傍にいて幸せだったんだろうな。
素敵な本、仕上がりが楽しみです。
お母様とは仲が良いということは聞いてたけど、みなさんに愛される素晴らしい方でもあったんですね。また、はるきや家族の皆さんにここまで愛され続けて、お母様は間違いなく幸せだったんじゃないかなとも思いました。
また、最後の俳句、国語が出来ない僕にも、ぐっと来るものがありました。ざくろは花言葉で円熟の美。まさにそれを象徴するような、力強くて美しい俳句だと思います。
はるきもお母様の後を継いで、俳句を作ってみたらどうでしょう?スペイン語で俳句という斬新なのもありだと思う
アンナさん
やっぱりアンナさんのお母さんも素敵な方なんですね☆
いつもアンナさんの日記を読んで、色々なことに興味を持っていて優しいアンナさんの人柄が現れているなぁ、心が温かくなるなぁ・・・と思っていました。これはお母さんパワーなのでしょうか
>あの世とか、輪廻とか、人が亡くなった後の考え方は色々あると思いますが
>肉体は滅びても、こうして家族や友人の心に残って語られることで
>その人は完全に居なくなったわけではないと、私は感じます^^
本当にそうですね。
私の母の墓石は「感謝」と彫られているだけのシンプルなものなんですが、去年一時帰国して母のお墓参りに行った時、不思議なことに3回行ったらその度に「感謝」の溝の中に小さな青ガエルがいたんです。
父が、「今まで何度お墓参りに行ってもカエルなんて見た事なかったなぁ」って言っていて、改めて母が何らかの形で側にいてくれているような気がしました
自分の中に母の遺伝子があるっていうのも不思議ですが、きっとそういう遺伝子とか物理的レベルだけじゃなくて、母がどこかで見ていてくれるんだろうな、って思っています
>自分の母親のような母親に、お互いなれるといいですね^^v
アンナさんのお母様も、アンナさんみたいな優しい娘さんを持った幸せな方ですね。
お互い、母親になった時に再チェックしなくちゃですね(笑)
ウサギちゃん
ありがとう。そういえば、ウサギちゃんはうちの母には会ってなかったんだねー。10年以上の付き合いになるからすっかり忘れていたよ。(当時はうさぎちゃんもお下げ髪の可愛い中学生だったのう。)
うん。願わくば、母のスピリットが受け継がれていますように。
そういえば、母はフランス語を高校時代から勉強してたのだよ。ウサギちゃんにパリて会った時、ノルマンディーに行った時、両方とも一緒に体験しているような気分だったよ☆
rinrin
コメントありがとう。
ざくろの花言葉、知らなかったよ。良い事を教えてくれてありがとう
>はるきもお母様の後を継いで、俳句を作ってみたらどうでしょう?スペイン語で俳句と言う斬新なのもありだと思う
いやいや、俳句って感性もそうだけど季語とか大和言葉とかの知識を磨く必要もあって、本当に高度なんだよねぇ。私にはとてもとても
でも俳句は好きなので、ライフワークの一貫として母の句の英語/スペイン語訳はいつかしてみたいかな☆
そのうち、ドイツ語の部分はrinrinにお願いしまするよ
お母様の最後の句、温かくて美しくて「生」を感じさせる句だね。はるきちゃんがこんなに素敵な女性になったわけがちょっとわかった気がするよ。
ヨーロッパ滞在、喜んでくださってるんだろうな。
もう五年もたったのかと思うと、感慨深いです。
当時ハルチョから話を聞いたときは私もまだ駆け出しだったので、知識もコネも無くて、殆んど助けにならなかったのが申し訳なく思ってました。
それと同時に、病床のお母様を支えて、一緒に病に立ち向かおうとしているご家族の姿勢にただただ感銘を受けました。
私もご挨拶程度に一二度お会いしただけですが、最期の俳句のように優しそうな方だったと記憶しています。
素敵な句集になるといいですね。
ハルキのお母様には、本当に良くしてもらいました。
分け隔て無く接してもらい、とても居心地の良い空間でした。
あれから5年も経つのだと思うと、感慨深いです。
私は、常にあまり役に立たず、当事もハルキの力になれず、後悔ばかりです。
ただただ、何故か高校生の時にクリスマスのころにお会いしたことが思い出されます。
ももちゃん
ありがとう。私も母がこの滞在を喜んでくれている気がするよ
そりゃぁ、日本が自分の母国だから帰るとホッとする部分もあるんだけど、でも今はスペインのこの生活が自分の現実なんだなぁ、と感じています。
あと、母もももちゃんが俳句を好きになってくれて喜んでると思います。
ありがとう
あーや
メッセージありがとうございます。
あの病気の頃は色々なお医者さんが匙を投げてしまい、ホスピタルの話を母の前で出すお医者さんも出て、本当に大変な時期でした。
そんな中、あーやの家族がいつも色々と気にかけてくれて、そういう気持ちが本当に嬉しかったです。
お医者さんのあーやの専門外の分野の癌だった為特に詳しく聞くこともなかったですが、色々な精神面のサポートを受けられたことはそれと同じ位ありがたいことでしたよ☆
そういえば、これとは別ですが、ナリジクスの件では本当にお世話になりました(笑)あれが治った時、あーやが神様のようでした
ねこどん
いやいや、本当にいつもありがとう。
ねこどんとねこママにはお通夜に来てもらって本当に感謝でした。それも5年前なんだねぇ。時の経つのは早いね。
うちの母は、いつもねこのことを「こんなに良い子は他にいないよ。本当に優しくて礼儀正しくて。幸せな家庭に育ったのね。」って言ってたよ。
母は母で、ねこどんの前ではのびのび楽しそうにしていた気がするよ♪
>ただただ、何故か高校生の時にクリスマスのころにお会いしたことが思い出されます。
あ、あのクリスマスプレゼントを送った時のだよね?
うちの母のパウンドケーキが食べにくくてこぼれたという・・・我が家では毎年パウンドケーキを何本も作って親戚に送ったりしてたから、きっとそれだね(笑)
でも、確かにあの高校時代に友達のお母さんと二人っきりっていうのは緊張しただろうなぁ。。。
ちゃんとコメント書ける精神状態まで待とうと思っていたらこんなに時間が経ってしまった(バタバタしていてきちんと書けない気がしたから)。Haruki、そんな辛い思いをしていたんだね。全然知らなかったよ。お母様の句、本当に素敵だね。人生のいやなこと、怖いこと、マイナスのことに直面したとき、なお、うつくしいものを愛でることができる人間でありたいと願いながら、その難しさをわたし日々実感しているから、お母様の句が、本当に、気高く、尊いものに思えるのです。やさしくて、あたたかくて、うつくしい。素敵なお母様だね。
お母様は、きっといつもはるきさんのそばに寄り添っておられると思います。ご一緒にスペインやヨーロッパの暮らしを経験して喜んでおられることと思います。
「ざくろ」の句、「感謝」の墓碑で、お母様のお人柄が判ります。また「カエル」と言えば、以前トレドでカエル探しをなさいましたね。幸運のカエルを見つけたと書いておられました。
ぜひぜひスペイン語、フランス語訳を完成なさってください!その前に、もしよろしければ、日本語の句を折に触れご紹介くださると嬉しいです。
wcy
メッセージありがとう。私もここの所バタバタしていて、wcyに返事を書こうと思いながら時間が経ってしまったよ。
不思議なのは、母の日記もあるので母の死後に時々読んだりはしたんだけど、俳句の方が日記よりもっと母の心情を現していて感覚がイキイキと表現されているということ。俳句の方が日記の文章より短いのに優しさや悲しみが凝縮されている感じがして、もっと故人の言いたい事を表しているように見えるのね。「俳句は小宇宙」って本当だよね。
母の句を褒めてくれてありがとう。私も、最期まで人に感謝と優しさを与え続けられる人間でありたいと思います★
プリンさん
>また「カエル」と言えば、以前トレドでカエル探しをなさいましたね。幸運のカエルを見つけたと書いておられました。
そうでした!トレドもカエルでしたね!すっかり忘れてました
よく亡くなった人が自然や動物になって故人を思う人の所に現れるというので、きっと母だろうな・・・なんて思ってはいましたが。
そういえば、カエルちゃんと会ってからスペインでの生活がさらに幸せになっているような気がしなくもないです☆
>ぜひぜひスペイン語、フランス語訳を完成なさってください!その前に、もしよろしければ、日本語の句を折に触れご紹介くださると嬉しいです。
ありがとうございます。
スペイン語、英語は考えていますが、フランス語は随分鈍ってしまったので相当の努力が必要かと。。。
私の祖父も俳句を作っていた人なので、二人の俳句を少しずつ翻訳するのがこれからのライフワークになりそうです(^^)