グラナダ
スペインで多くの時を過ごしたメキシコの詩人フランシスコ・デ・イカサ(Francisco de Icaza)がグラナダを詠んだ詩があります。
Dale limosna, mujer, que no hay en la vida nada como la pena de ser ciego en Granada.
(訳:奥さん、この人に施しを与えなさい。グラナダにいて盲目なことほど人生で悲しいことはないのだから。)
念願叶い、イースター休暇を利用して遂にグラナダに行ってきました。
スペインに住んでいるから、ほとんどの観光地は制覇していると思われることがよくありますが、実際はそうでもありません。スペインに来てからは、到着直後からスペイン語の授業、その後は修士、さらに就職活動・・・と、あっという間の日々で、マドリッドの外の観光はほとんどしていませんでした。ここに来て娘が生まれたことで、少しずつ旅行しやすい国内を選ぶことが増えたように思います。
スペインの歴史同様、グラナダの歴史も様々な民族の侵入・攻防の繰り返しです。ムスリムがユダヤ人の協力を得て西ゴート族を追い出したのが711年。この地がアラビア語でGarnata Al Jahudと呼ばれたことから、グラナダ(Granada)の名前は由来しています。スペイン語で柘榴のことをgranadaと言うので、個人的には柘榴と関係があるのかと思っていましたが、そうではないようです。とは言え、グラナダ市の紋章や教会関連の布等、至る所に柘榴のモチーフが使われているので、あながち無関係とも言えませんが。
ムスリム人がアンダルシア地方を制覇し、イスラム文化が繁栄した頃のアンダルシアは、スペイン語の”Andalucía”ではなく、”Al-Andalus”(“Al”はアラビア語の冠詞)と呼ばれていました。当時のアラビア語もAl-Andalusと呼ばれていたそうです。現在でも、アンダルシアはスペインの中でも特異な部分という意味でも、「あそこはAl-Andalusだからねぇ。」と言ったりもします。
13世紀からレコンキスタ(国土回復運動)の最後まで残ったイスラム王朝はナスル朝(スペイン語ではLa dinastía Nazarí, 英語ではNasrid)と呼ばれます。その後、スペインのレコンキスタ運動の高まりの中、ナスル朝の王アブルハサン・アリー(Abu Al-Hasan Ali)とその息子ボアブディル(Boabdil)の間での争いが始まります。アブルハサンがスペイン(正確にはカスティーリャ王国)への貢ぎ物を拒否してキリスト教勢力に抵抗している間に息子がグラナダの一部を父から奪い、さらに息子がカスティーリャ王国の捕虜になっている間に父が自分の弟を王に据え・・・と言った家族間の争いが、ナスル朝を弱体化していきます。ボアブディルは釈放されますが、その後叔父がカスティーリャ王国と戦う為の援軍を必要としても、そこで何も動かなかったそうです。最終的には、このボアブディルもグラナダを去ることになり、遠くに見えるアルハンブラ宮殿を見て涙したという話はあまりにも有名です。
長くなりましたが、グラナダの最大の魅力はやはりアルハンブラ宮殿だと思います。もちろんその他にも、入り組んだ迷路のような通り、美しいパティオ(建物内部にある中庭)の数々、500年以上も残る城壁、お茶と水タバコを出すアラブ風の喫茶店、美しい柱がそびえ立つ大聖堂等、文化の融合の美しさを感じさせるものがグラナダには沢山存在します。ですが、あれだけの洗練された文化をあの密度で披露するのは、アルハンブラの他にはかなり限られているのではと思いました。
今回私たちは電車でグラナダに行きました。グラナダとマドリッドの間にはAVE(いわゆる新幹線)はない為4時間程かかりましたが、とても快適な旅でした。また、グラナダの駅は市の中心にかなり近い為、移動もとてもラクでした。
グラナダで義両親の友人に会い、一緒に食事をいただいた後、娘を預けてアルハンブラ宮殿に。上り坂やごつごつした道が多かったので、本当にありがたかったです。
アルハンブラ宮殿の中はいくつかの部屋に別れていましたが、どれも本当に見応えがありました。アルハンブラ宮殿、最初は宮殿ではなく要塞だけだったのですが、ナスル朝時代に宮殿部分が増設されます。その部分が現在Palacio Nazaríesと呼ばれ、特に人気の高い観光箇所として知られている部分になります。
この美しい宮殿ですが、ずっとその美しさを保った訳ではありません。15世紀にキリスト教徒が支配するようになってから、カルロス5世が自分の宮殿を建てる為に、ナスル朝の宮殿の一部を破壊してしまいます。(そのカルロス5世の宮殿も今では世界遺産ですが。)その後、18世紀にはアルハンブラ宮殿は忘れ去られ、なんと泥棒が横行した時期もありました。ちょっとエジプトの王家の谷みたいです。ナポレオン戦争時代には倉庫として利用されたこともあります。紆余曲折があった後、Washington Irvingという作家がこの宮殿の美しさを本にしたためた為、国外にも広く知られるようになり、修復作業が進みました。ご存知の通り、今ではユネスコの世界遺産として登録されています。
有名なアルハンブラ宮殿のライオンの噴水は、5年に及ぶ修復作業を終えて14世紀の様子に戻ったと聞いて楽しみだったのですが、周りの修復が終わっておらず、何とも中途半端な感じで残念でした。他の部分は本当に良かったです。
入り組んだ迷路のような道を通って教会や修道院を見つけたり、イスラム/ユダヤ文化の息づくアルバイシン(Albayzín)地区を通り、広場でジプシーの集団が歌い踊るフラメンコを堪能したり、思いがけずアラブ風のお茶の文化を味わったり、ととても印象に残る旅となりました。また、友人の旦那さんがグラナダ出身ということもあり、ちょうどグラナダにいた彼と息子さんと一緒にお昼をいただきました。
こういう形で色々な人との時間を取れるのも幸せなことです。冒頭の詩は、グラナダの美しさと独自の文化を上手に歌い上げた詩だと感じました。
はじめまして♪
秋頃にスペインへ行こう!
そしてアンダルシアへ行こう。
と思いネットサーフィンしていたところにこちらのブログを見つけました。
アルハンブラ宮殿が何処の国にあるのかさえ知らなかった私ですが、
子供の頃からアルハンブラ宮殿という言葉だけは、サウンドが心地よく頭の中にありました。
はるきさんを通してアルハンブラ宮殿にお目にかかれて嬉しい限りです。
感謝♪
yallah! アルハンブラ宮殿に絶対に行くという決意が固まりました。
これからもブログの更新も楽しみです。
Tomokoさん
はじめまして。そして、コメントをどうもありがとうございます。
アルハンブラ宮殿の美しさは、やはりその目で見て実感できる部分が多いと思います。
また、グラナダという都市の美しさは独特のものですので、散策するとさらに色々な発見があって面白いと思いますよ。
なお、アルハンブラ宮殿の入場チケットは、現地に行く前に買っておいた方が便利ですよ。
到着後に並ばないですみますし、好きな時間帯を選べますので。
(私の場合は、イースター休暇直前の日だったこともあり、一ヶ月前にしてほとんど売り切れでした。)
どうぞ滞在を楽しんで下さいね。