Time flies
母が亡くなって10年になりました。母については既に5年経った時の日記に色々書いたので、今回は割愛します。今は色々なことがあり、仕事に加え、娘の学校探し、新しいお手伝いさん探し、義弟のリフォームのお手伝い(意見等がメインですが)、二人の子供の世話や夜の授乳で目まぐるしい日が続いていますが、今日はゆっくり母のことを考える時間を持つようにしました。
とは言え、子供二人と一緒に公園に行って遊び、戻ってお昼ご飯をあげ・・・と言った日常の家事の後、5年ぶりにスペインに来た友人との再会があり、それまでは同じようにバタバタしてしまいました。
彼とは私が大学院に行っていた頃に大学の学食で知り合い、そこから今もやり取りを続けている数少ない友人の一人です。何と、彼は標準スペイン語の他にガリシア語も堪能な人で、来年よりグアテマラに外務省より派遣されるそうです。その彼と、この5年の空白を埋めるかのように色々な話をし、日本の話や政治の話もすることができ、とても有意義なひと時をすごしました。
その後、家の掃除その他をして健斗を寝かしつけてから、夫に留守番をお願いして走って近くの教会に行き、ようやくミサにあずかりました。
教会が大きくて声が反響して内容が分かりにくかったこともありますが、とにかく母の思い出や色々なことを細部まで思い出して反芻していた為、ミサの内容はほとんど頭に入りませんでした。それでも、こうして心を落ち着けて母との時間を思い出すことができ、改めて母への感謝の気持ちで胸がいっぱいになりました。同時に、この5年の間に私自身が母親になったこともあり、昔母が私にしてくれたことに対し、「こういう気持ちでやってくれたんだなぁ。」と実感を持って思い出すことができました。
私の洋服ダンスに、母が最後に裾上げをしてくれた緑のズボンがあります。とても丁寧に手で縢って(かがって)くれたものですが、色は濃いけれど薄地ということで、意外と活躍しないままここまで来てしまいました。それでも、母が心をこめてしてくれたと思うとどうしても手放せないものです。今日、母が裾上げをしてからすでに10年以上経ったんだな、と改めて思い、このズボンを手にしました。
また、9月の日本滞在で、偶然母がずっとつけてくれた私の「健康ノート」を実家で発見したので、それにも目を通しました。母がマメにすべてを記録してくれていた所から、改めて母が一生懸命子育てに取り組んでいたことも分かりました。
昔は、私にとってこんなに大切な人が亡くなっても、世界がそのまま変わらずに動いているのが不思議でした。頭では分かっているつもりでも、「誰でもいつかは死ぬんだ」ということを残酷に突きつけられたような、そんな印象を受けたのを覚えています。その経験をしたせいか、子供と一緒の時は意識的に、今という時間を大切に味わおうとできるだけのことをするようにしています。忙しくて気持ちが少し萎えてしまうこともありますが、そういう時には、「自分はこんなに良い子供達に恵まれて、何て幸せなんだろう!」とポジティブ思考にするようにして、エネルギー補給をしています。夫に対しても、日々の雑事を後回しにしてでも、できるだけ二人の時間を捻出しようと努力するようにしています。(とは言え、その決意も時には忘れてしまうこともありますが・・・。)
10年経ったこの日、私にメッセージを送ってくれた方々、私のことを考えてくれた方々、どうもありがとうございました。
5年前の日記も読ませていただき、お母様の思いに胸を打たれました。
こんな思いで自分を育ててくれたんだということ、頭ではわかったつもりでしたが、自分も子を持って心から感じることが多く、時々涙が出そうになります。
私も父の命日が近づくと、普段より父のことを思い出しますが、でも、母親ってやっぱり特別だと思います。
お母様、Harukiさんのことを大切に育ててくださったんですね。
チェスカさん
メッセージをありがとうございます。
未だにつくづく思う事ですが、本当に母親って大事ですよね。
そういうこともあって、時々育児に疲れても、「この子達が私のことを母親として記憶してくれるんだろうなぁ。」なんて思うと、できるだけのことをしてあげたいという気になります。
母を亡くしたことによって、未だに「こんなことをしたかった」という気持ちは出て来ますが、それでも自分は良い母親を持って幸せだったなぁ・・・と思えることに感謝しています★