Haruki's way

〜スペイン・この不可思議な国〜

エクストゥレマドゥラ旅行記①総括

収穫されたオリーブ。オリーブを積んだトラックをあちこちで見かけたのも印象的でした。

収穫されたオリーブ。オリーブを積んだトラックをあちこちで見かけたのも印象的でした。

スペインに住んで早くも10年。これだけ住んでいるとスペインを知り尽くしているように思われますが、「期限なし」で住んでいると、学生生活や仕事、家庭で忙しいとなかなか旅行をする暇もない上、してもスペインの外ということも多く、訪ねていない所は意外と沢山あります。今回、冬休みを利用してスペイン南西部のエクストゥレマドゥラ(Extremadura)という地方に行ってきたので、その地域についてご紹介します。

スペイン地図。より。

スペイン地図。http://yourspain.info/spain/Places/Regions/Extremadura/ExtremaduraRegion.htmlより。

エクストゥレマドゥラの地図。

エクストゥレマドゥラの地図。http://www.travelextremadura.com/EN/extremadura.phpより。

スペインと言うと、マドリッド、バルセロナ等の都市やアンダルシア地方、バスク地方等については耳にしたことがある人が多いと思います。また、スペインにはユネスコの世界遺産登録をされた地域が多い為(44地域登録、世界第3位)、トレド(Toledo)、セゴビア(Segovia)、アビラ(Ávila)、サンティアゴ・デ・コンポステラ(Santiago de Compostela)、サラマンカ(Salamanca)、ルゴ(Lugo)、アランフェス(Aranjuez)等も聞いたことがあるかも知れません。

反面、エクストゥレマドゥラ州は日本人にはまだまだ知られておらず、他の地域に比べてあまり観光業は盛んではないように思われます。(それが逆にスペインらしさを残すこの地域の良さと言えばそうかも知れませんが。)

エクストゥレマドゥラと言うと、スペインと日本の共通点としてまず出てくるのが、何と桜の木。ヘルテの谷(Valle del Jerte)のさくらんぼは美味しいことで非常に有名ですが、さくらんぼが美味しいということは、もちろん桜の木が沢山あるということでもあります。桜の花が開花した春のヘルテの谷は幻想的とさえ言われ、日本人だと一度は行ってみたい場所の一つでもあります。

ヘルテの谷の様子。

ヘルテの谷の様子。http://www.eldiario.es/eldiarioex/turismo/Pilar_Armero_cerezo_0_370263908.htmlより。

Pimentón de La Veraと言えばこの缶でしょうか。

Pimentón de La Veraと言えばこの缶でしょうか。

その他、エクストゥレマドゥラは自然が美しいことでも有名で、国立自然公園や山脈、美しい川や広大な野山があることでも知られています。スペイン在住者には馴染みのパプリカ(ピメントン、”pimentón”)の生産地であるLa Veraも、上に書いた「ヘルテの谷」のさくらんぼも、最高級のハモンと言われるイベリコ豚”pata negra”も、マンサニーヤ種というオリーブから取れる非常に美味しいエクストラ・ヴァージン・オリーブオイルも、チーズも、とにかくありとあらゆる「スペインの味覚」が集中している所がこの地域です。

反面、第一次産業が発達している地域でありがちなことですが、エクストゥレマドゥラでも一部のサービス産業以外はあまり発展しておらず、失業率が高いことでも有名です。スペイン全体の昨年の失業率が20.9%で既にかなり高いのですが、エクストゥレマドゥラは何と28%。農業従事者の高齢化も進んでおり、色々な課題も抱えた州です。

我が家で使うのはこちら。"La Vera"とは書いていませんが、エクストゥレマドゥラのカセレス産と書いてあります。

我が家で使うのはこちら。”La Vera”とは書いていませんが、エクストゥレマドゥラのカセレス産と書いてあります。

この州の歴史で特筆すべきことと言えば、以下の点でしょう。

①ローマ時代の建築物
②様々な文化の融合
③大航海時代のコンキスタドール

 

①ローマ時代の建築物
エクストゥレマドゥラの歴史は旧石器時代の遺跡から辿ることができ、新石器時代の農業や牧畜の後も確認されています。その後、ローマ時代にはこの地域はルシタニア(Lusitania)と呼ばれていましたが、それはこの地に住んでいて、最後までローマ人の強固な軍隊に抵抗した勇猛な放牧民族ルシタン人(“lusitano”)の名前から取られています。
このルシタニアの都は現在のメリダ(Mérida)ですが、スペインでは有名な「銀の道(Via de la Plata)」の終点としてもよく知られ、ローマ時代にはEmerita Augustaと呼ばれ、重要な交易・戦略上の都市として知られていました。ここにあるローマ時代の劇場(teatro)や円形闘技場(anfiteatro)、競馬場?(古代の戦車の競争用の土地で、”circo romano”, “Roman circus”と呼ばれていました)等はローマ帝国時代の都ローマの規模にも劣らない素晴らしいもので、劇場では現在でも夏にオペラ等の催しが開催されています。

競馬場。これだけの規模のものは、他ではローマにしかありません。

競馬場。これだけの規模のものは、他ではローマにしかありません。

私の友人でも、夏にマドリッドから車でメリダまで行き、夜の野外オペラを堪能している人がいます。

劇場。その大きさに圧倒されます。

劇場。その大きさに圧倒されます。

ちなみに、円形闘技場(ローマではコロッセウム)で闘った剣闘士達は映画「グラディエーター(Gladiator、スペイン語では”gladiador”)」で有名になり、日本でもこのカタカナの呼称が一般的になりましたが、実際は闘う人の装備によって呼称が異なり、網を持つ者、大きな盾を持つ者、網を切る為の探検を持つ者等色々な種類がありました。
その後、4世紀のゲルマン人の大移動により、この地域の古代ローマ文化の栄華は終焉を迎えますが、ローマ時代の建築の美しさは今も賞賛に値しますし、実際に訪れる価値は大いにあると思います。

円形闘技場。劇場よりさらに大きく、楕円の一番長い部分は64.5mになります。

円形闘技場。劇場よりさらに大きく、楕円の一番長い部分は64.5mになります。

ローマ時代に造られた橋は今でも使用されています。(メリダにて。)

ローマ時代に造られた橋は今でも使用されています。(メリダにて。)

②様々な文化の融合
4世紀のゲルマン人の大移動により、ルシタニア(現在のエクストゥレマドゥラ)では、アラン人(alano)、スエヴィ族(suevo)等がこの地域を治めるようになりますが、その後サラセン人(当時のキリスト教徒から見たイスラム教徒のこと, “sarraceno”)によるイスラム文化が花開きます。イベリア半島のレコンキスタ運動により、13世紀にこの地域がキリスト教徒の手に渡るまでの間に多くの城塞や実用的な建築物が作られました。その中でもよく知られているものとして、アルカサバ(Alcazaba)と呼ばれる城塞があります。この地域では、ゲルマン人が以前に築いた建築物を利用しているものもあり、まさに「文化の融合」を垣間見ることができます。

ちなみに、スペイン文化に通じている人には馴染みのあるアルカサール(Alcázar)とこのアルカサバ(Alcazaba)は両方とも「城塞」とされますが、この違いについてはご存知でしょうか。両者ともアラビア語から由来していますが、アルカサールは、「ムスリムの高貴な身分の者(カリファト等)が居住した城塞で、後にキリスト教徒が占領した建物」を指すのに対し、アルカサバは「城壁で囲まれた城塞で、中に兵士が駐在していた建物」を意味します。こういう違いも面白いですね。

メリダやバダホスのアルカサバも一見に値しますが、その他、イスラム建築で興味深い地下貯水池「アルヒベ(aljibe)」もよくできており、カセレス(Cáceres)のアルヒベの美しさにも感心しました。

カセレスにあるアルヒベ。https://es.wikipedia.org/wiki/Palacio_de_las_Veletasより。

カセレスにあるアルヒベ。https://es.wikipedia.org/wiki/Palacio_de_las_Veletasより。

メリダのアルカサバの中にあるアルヒベ(貯水池)。金魚のような魚が泳いでいました。

メリダのアルカサバの中にあるアルヒベ(貯水池)。金魚のような魚が泳いでいました。

アルヒベへ続く階段。全てが千年近く前にできているというのは驚嘆に値します。

アルヒベへ続く階段。全てが千年近く前にできているというのは驚嘆に値します。

キリスト教徒によるレコンキスタ(国土回復運動)は、当時いくつか存在したキリスト教徒の王国によって進められます。エクストゥレマドゥラのレコンキスタはレオン王国とカスティーリャ王国によって進められますが、14世紀のイサベルとフェルナンドの婚姻によりこの二つの王国が一つになったことから、両王国が支配した地域も一つになります。ちなみに、イベリア半島のレコンキスタが完了するまでは、ムスリム教徒、ユダヤ教徒、キリスト教徒は平和に共存していました。(「異教徒」のキリスト教改宗、あるいは国土追放の令は、1492年に発布されます。)

③大航海時代のコンキスタドール

大航海時代の歴史には数多くの「コンキスタドール」が登場しますが、その中で最も有名な一人であるエルナン・コルテス(Hernán Cortés)はエクストゥレマドゥラのメデジン(Medellín)出身で、メキシコを発見し、アステカ帝国を征服したことで知られており、もう一人のフランシスコ・ピサロ(Francisco Pizarro)はエクストゥレマドゥラのトゥルヒーヨ(Trujillo)出身で、ペルーを発見し、インカ帝国を征服しています。ここでは詳細には触れませんが、エクストゥレマドゥラ出身の人たちが関与している支配地域には、プエルトリコ、ホンジュラス、パラグアイ、ボリビア、エクアドル、チリ…等、中南米の多くの国が含まれます。

トゥルヒーヨにマヨール広場にあるピサロの像。90年代にスペインからペルーに同様の像が寄贈されましたが、國民感情を逆なでするということで、その後撤去されたとか。

トゥルヒーヨにマヨール広場にあるピサロの像。90年代にスペインからペルーに同様の像が寄贈されましたが、国民感情を逆なでするということで、その後撤去されたとか。

エクストゥレマドゥラからコンキスタドールが多く輩出された理由として歴史家が挙げるのは、レコンキスタの後もこの土地で続いた絶え間無い戦、飢饉、生活の質の悪化等です。自然の厳しさや戦いに晒された人々にとって、生きて行く以上のことは何も望めない生活よりは、大航海に出て見知らぬ土地で富と名声を得る可能性に賭ける方が魅力的に映ったのかも知れません。

思い出に残る旅となったエクストゥレマドゥラ滞在。皆さんにも楽しんでいただければ幸いです。

Tagged as: , ,

Leave a Response