Haruki's way

〜スペイン・この不可思議な国〜

マナーとは

フランスの結婚式に行った時の披露宴会場。伝統ある落ち着いた雰囲気の場所でした。

フランスの結婚式に行った時の披露宴会場。伝統ある落ち着いた雰囲気の場所でした。

オフィスで古い書類を処分していると、よく書類に混じって昔の駐在の人が持ってきた日本語の本が見つかります。日本語の本だとすらすら読めるせいか、あまり興味のないものでも手にとってさっと目を通します。その中の一冊、礼法学者の山根章弘著「誰も言わなかった知的マナー入門」という本が、日本と欧米のマナーを比較していて面白かったので、ちょっとマナーの確認も含めてご紹介します。

山根章弘氏は武家に生まれ、厳しい躾を受けた後、イギリスでも数年生活をし、欧米の上流社会のマナーも身に付けた人です。そのため、両方の良い部分や正しい礼儀というものを知っていて、さらに礼儀・教養に関する本への造詣も深く、読んでいて「なるほど」と思うことが沢山ありました。

彼の説明の中で一番良かったのは、「マナーとは、相手に不快な印象を与えないものであることが大前提。同時に、伝統のあるマナーとは合理的にできていて、マナーを守って不便を感じることは普通ない」という部分です。マナーと言うと、ちょっと洒落たもの、よそ行きのもののような気がしがちですが、他人を思いやる心からマナーが発生していると思うと、きちんと学びたくなってくるものですね。

では、ここでいくつかに分けてマナーチェック!

<日本で「ヨーロッパのマナー」として誤解されていること>

  • 上座・下座
席順(と言っても、どのテーブルに座るか程度)が入口のボードに書いてあります。リンゴの絵を使っているのが、いかにもリンゴの産地らしいです。

席順(と言っても、どのテーブルに座るか程度)が入口のボードに書いてあります。リンゴの絵を使っているのが、いかにもリンゴの産地らしいです。

日本では、上座・下座の順序が非常に細かく決まっていますよね。そして、なぜか欧米風のサロンでは重要な席が①ソファ、②両肘のある椅子、③肘なしの椅子となっているらしいです。(私は細かくは知りませんでした。)が、実は欧米では席順に上座/下座はほとんどありません。強いて言えば、「お客さんに一番良い席を」「皆が会話を楽しめる席順で」ということです。ですので、出入りの多いドアの近くにはその家の主人が座って、料理をサーブしたり足りない物を取りに行ったりすることはあっても、他に上下の差はありません。あと、お客さんを暖炉の近くに座らせると言った心遣いはありますが、椅子の種類でどうのこうのというのもありません。この本の著者も、「誰かがこれが欧米のマナーと言ったせいで、日本でのみ流行ってしまったようです。」と言っています。

ちなみに、車の上座・下座も欧米にはありません。日本では、「運転手の後ろの席が一番安全なので上座」と言われたりしますが、著者によれば「日本で発生した勝手な屁理屈」だそうです。そもそも車は馬車文化から来ているので、馬車の乗り方に従えば、一番後ろの真ん中でゆっくりするのが一番良く、後は特に指定なしとのこと。日本って、こだわりがありますね。

  • コートの着脱
Atocha駅の温室のカメ達。外は寒くてもここは温かく、カメはのんびり甲羅干しです。

Atocha駅の温室のカメ達。外は寒くてもここは温かく、カメはのんびり甲羅干しです。

よく、人を訪問した際に、玄関に入る前にコートを脱ぐのが礼儀と言われています。これも間違いだそうです。『外被を脱いで外で待つ方が、焦りがあるようでよっぽど悪くとられます。さあどうぞと言われて玄関に入ってから脱ぐものです。』とありました。
確かに、こっちでは皆家に入ってからコートを脱ぎます。コートもお洒落の一部だからわざわざ脱ぐ必要はないのかな、なんて思っていましたが、確かに入る前に脱ぐと「早く入れろ〜」と言っている感じですね。納得。

とは言え、日本でこれを礼儀と思っている人が多いので、それをしないと「礼儀がなっていない!」と思われるかも知れません。日本では、原則を知った上で敢えて脱いで玄関先に立つのも必要かも知れませんね(^^;)

  • コーヒーカップの取手は客から見て左向き

これも実は日本の風習です。著者によると、『この元凶は明治時代の礼法書に遡れる』とか。(よく遡ったものです!)『西洋のマナーも教える必要が出て来たこの時代に、日本古来の茶道の作法をそのまま移行して教えこんだのが、東京女子校等師範学校(現在の御茶ノ水大学)の礼法の教授、甫守謹吾(はじめもりきんご)という人』だったそうです。『明治45年に刊行された彼の礼法書にこのように書いてあった為、学校で教えられた卒業生は、毎年に本全国に送り出されて女学校の先生となり、教える女学生が卒業するときにはこのマナーをさらに広めた』とか。確かに、考えてみると、わざわざカップの取手を左に向けることってしませんね。恐るべし、日本での定着率。

  • 婚約指輪の交換
メキシコでの友人の結婚披露宴。メキシコは銀の産地の上、陶器や手作りガラスもメキシコ製で、上品ながら土地の味が出ていました。

メキシコでの友人の結婚披露宴。メキシコは銀の産地の上、陶器や手作りガラスもメキシコ製で、上品ながら土地の味が出ていました。

日本では当たり前の婚約指輪の交換。実は、これも「皆がすべきこと」ではありません。『欧米の国によっては、婚約するとそれが居住地の地方新聞や市役所に婚約成立として発表されることがありますし、パーティーをする人達もいますが、男性に「余裕があれば」指輪を贈ることはあっても、男性に余裕がなかったり、結婚式が間近に迫っているときには、婚約指輪は贈らなくてもよろしい、と色々なヨーロッパのエチケット本には明記されている』とのことです。

この婚約指輪を「贈らなければいけない」という考えは、アメリカの商業主義から始まっていると主張する人もいます。注意深く見てみると、婚約指輪を買ってもらう女性のほとんどはアジア系か米国系、あるいは米国に近いラテンの国のようです。ヨーロッパでも何人かは見ましたが、意外と少ないです。さらに言えば、「婚約指輪の値段は給料3ヶ月分」ってどこから来たんでしょう??これは日本以外でも使われる目安なのでしょうか???

ちなみに、私も結婚指輪のみで婚約指輪はもらいませんでした。それは、どうせもらうなら普段から身につけられる指輪がほしいと思ったから、そして、ダイヤなら祖母の形見の指輪で十分と思ったからです。あと、母はダイヤの指輪を持っていましたが、ほとんど身につけた姿を見たことがなかったからというのもあります。そんなに高くなくても、少しずつ自分に似合ったものを探す方が私には合っているようです。

  • 贈り物はその場で開ける
フランスで通った並木道。優しい光と青々とした葉の美しさが印象的でした。

フランスで通った並木道。優しい光と青々とした葉の美しさが印象的でした。

よく、「日本では贈り物はお客さんが帰ってから開けるけれど、欧米では贈り物はその場で開けるもの。」なんて言われます。が、何と!『贈り物を受け取ったら、「それはまことに恐縮なものです」と言ってその場で開け、「すばらしい○○ですね。」と驚きと喜びを言い表し、その品の由来や使用法を聞くことで答礼とするのが昔からの日本のしきたりだった』そうです。著者によれば、『これが武家社会のしきたりで、昭和の初期まで社会一般で行われていた良き習慣だった』とのことです。

最近では、「それでは失礼ですが、この場で開けても宜しいですか?」と言って開けることが増えてきましたが、失礼でも何でもなかったんですね。「欧米に倣って・・・」と言わず、日本でも欧米でも贈り物を喜んで開けることにした方が、贈った方も嬉しいと思いますが、どうでしょうか。

<日本でまだ足りないこと>

Retiro 公園の夕焼け。

Retiro 公園の夕焼け。

欧米では当たり前でも日本ではそうではない事というのは多々あります。もちろん、逆も然り。ただ、それぞれ文化的な背景が異なる中では、「日本でも欧米のようにすれば良い」と思うことばかりではないですし、日常の生活や考え方から切り離してマナーだけを輸入すべきとも思いません。

例えば、ヨーロッパでは白い靴下はあくまでスポーツ用で、ビジネスには絶対使いません。白い靴下を履いているだけで、ちょっとお洒落なダンスクラブには入れてもらえません。中には、白い靴下を履いてきたお客に対し、「あなたは仕事に対してのプロ意識が足りない。」と言って会うのを拒否した重役もいたとか。それ位非常識なものですが、日本人にとってはそこまでとは映らないはずです。私も最近は、「確かに黒い靴に白い靴下は垢抜けていない」とは思うものの、そこまで嫌なものとは思いません。この辺は、頑張って欧米から学ぶべきこととは思いませんよね(^^;)

以下、欧米のマナーの観点から、日本でまだ足りないことを3点。ここができれば素晴らしい!と私が思う点です。

  • 人の紹介

お互いを知らない人達が同席する際に、引き合わせる人が軽い紹介をすること。これって、日本でもビジネスの席では出来ているのですが、プライベートでこれができる人は非常に少ないと思います。恐らく、欧米ではプライベートでも友人を介して別の人と知り合う機会が多いのに対し、日本は友人の輪に新たに人を加えることが少ないからだと思います。

この「引き合わせた人からの紹介がない」傾向が顕著なのは、披露宴ではないでしょうか。親族はそれぞれの招待客に挨拶はするものの、招待客同士をつなげるようなことは特にしない為、それぞれグループ同士で固まってしまい、他の人との交流がほとんどありません。気詰まりなのは、2、3人程度しか知り合いのいない披露宴に招待されたケース。披露宴が面倒くさいものになってしまっては残念ですよね。皆が楽しく過ごせるように、こうした小さな配慮は大切だと思います。

  • 食べる時の音

日本ではソバを食べる時にすするのが粋とされます。欧米人にとっては理解し難いそうですが、これは文化ということで分かってもらいましょう。ですが、噛む時に口を開けてクチャクチャ音を立てて食べる人って、日本には本当に多いです。このクチャクチャ音、日本ではそこまで気にされていないようですが、口の中の食べ物が相手に見える上、ガツガツしている印象を与えてしまい、人との時間より自分の食事に集中しているようでスマートではありません。美しいマナーという観点からもそうですが、相手にとって不快な音を消すというのも大事だと思いました。

  • 贈り物
教会のロウソクの灯り。何とも言えない温かみがあります。

教会のロウソクの灯り。何とも言えない温かみがあります。

これはそもそも日本文化にあったことなので、「足りないもの」と書くのはちょっと残念なのですが。

上記マナー本によると、『「贈答」とは最近の言葉で、日本では古くから「贈進」とか「進物」と言った』そうです。さらに、『この贈進とは、本人が自ら手に持って相手宅に出向いて、相手方に平素のご無沙汰のおわびや厚情への感謝などの口上を述べ、その直後に贈り物を相手方に手渡すこと』だそうです。『よほどのこと、やむを得ない場合に限って、代理の者に贈進の品を持たせて出向かわせた』とのことなので、贈り物とは、基本は直接出向いて渡すものだったわけです。

現在では、社会が複雑になったこと、インターネットの普及やデパートのサービスの向上等で、主人不在の品物だけがやり取りされるようになりましたが、『現在でも、この中元やお歳暮や年賀の挨拶に、まる一日か二日、それにかかりきりで直接贈り物をする人もいる』ということが書いてありました。大変ではありますが、人と人との縁を大切にしている感じがして清々しいなと私は感じます。

スペインでは、お中元、お歳暮やお年賀はありませんが、クリスマスや誕生日、親しい人の聖人の日は贈り物を準備してお祝いします。そのタイミングで渡せない時には、1−2ヶ月遅れてでも、その人達を家に招いたり、どこかで待ち合わせをしたりして直接渡します。(逆に、直接渡せない相手ならプレゼントを準備しないということもよくあります。)遠くてどうしても会えない人なら仕方ありませんが、「遅れても基本は会って渡す」方が、「時期は合わせて基本は送る」よりも、血の通った交流のような気がします。

人との関係を円滑にする贈り物ですが、一番大切なのはその人との楽しいひと時を共有することのはずです。今度はプレゼントを持って相手に会いに行ってみてはどうでしょうか。

マナーって本当に奥が深いです。色々な国/人のマナーについて知った後に、それを鵜呑みにするのではなく、自分にとって心地よいものか取捨選択する必要がありそうですね。

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4 Comments

  1. 「マナーとは、相手に不快な印象を与えないものであることが大前提。同時に、伝統のあるマナーとは合理的にできていて、マナーを守って不便を感じることは普通ない」
    というのは深いと思いました。
    日本の諸習慣は、「マナー」ではなく、社会の「縛り」として機能しているように思います。相手に不快な印象を与える如何にかかわらず、どんどん社会が縛りを強めているように思えます。「これが正しいマナー」「○○のマナー講座」などが流行しているのは日本だけではないでしょうか。そして、その流行がその時代のマナーを決めているのかなと思いました。
    また、マナーとはちょっとずれるかもしれませんが、敬語もどんどん変化していきますよね。役職にさらに敬称をつけるのはとても違和感があるのですが、「部長様」「各位様」のように使っています(本来、正しい使い方ではないと思うのですが)。これは前述の「相手に不快な印象を・・・」のマナーというよりも、単なる縛りだと思います。縛りの緩い国に行きたいです!(笑)

    • >Masashiくん

      社会の縛りというのは、かなりそうかなという気がします。
      「周りの人を不快にさせない」「気持ちよく過ごしてもらう」という点よりも、「周りの人と同じくらいマナーを知っておかなければいけない」という義務に転化しているのかも知れないですね。
      そうなると、本来楽しいはずの人との社交の場も、「人と一緒にいて窮屈な思いをするより、自分の家で好きなことをしている方が良い」になり兼ねません。
      ちょっと本末転倒になってしまいそうで、心配になります。。。

      敬語については、私も時々考えさせられます。
      また、それぞれの会社に独特の言葉もありますよね。
      前の会社では社内の人同士で「殿」を使っていて、それもまた不思議でしたが、今の勤め先では「茲許(ここもと)送付申し上げます」「確り(しっかり)」「〜と思料いたします」等をよく使うため、別の言葉を習っているような気がしました(笑)

      >縛りの緩い国に行きたいです!(笑)

      基本、日本の外なら全てOKかも?!

  2. 最近、縛りが多すぎて窮屈に感じることがあります。(汗)特に、会社の飲み会はルールが多い(ビールをつぐ時はラベルを上!お酒をつがれそうになったら一気飲み!)ので大変です。もちろん、社会人として身につけていかなければならない「マナー(ルール?)」なのですが。そもそも「社会人になる」というのはどういうことなのか、色々考えてしまいます。社会人になる前は社会のルールを知らないということなのか、だとすれば、「社会のルール」とは一体・・・結局「社会の縛り」なのかもしれません。

    スペインには「社会人になる」という考え方はありますか?
    和西辞書で調べたら、「社会に出る salir al mundo」と載っていました。

    茲許って初めて知りました!
    あと、「小生」を使うのは夏目漱石だけかと思ったら、会社にもいました(笑)

    • >ビールをつぐ時はラベルを上!お酒をつがれそうになったら一気飲み!

      ちょっとそれは大変そう・・・。ラベル云々は私は言われたことがないけれど、誰がそれを「礼儀」とするのかしら?
      私はそういうことまで上の人に言われたことがないので、これは「社会のルール」ではなく「その業界のルール」だと思います。

      そうそう、ワインをお客さんに注ぐ時にはラベルを見せて・・・っていうのはよくあるけれど、どうやらそれもmustではないようです。現に、こっちの友人に「ソムリエってワインのラベルを見せるよね?」って言ったら、サーブする前には見せるけれど、注ぐときまでずっと見せるかどうかは人次第と言われました。

      日本は「礼儀正しさ」がエスカレートしている感じですね。さらに、他の人に強要するのはちょっと・・・。でも、それで納得行かなくても何となくその通りにする人達が多いから、また広まるのかな、なんて思います。
      こっちは反逆分子が多いので、普通のことも定着しなかったりしますが(笑)

      >スペインには「社会人になる」という考え方はありますか?

      あまりないみたいです。だから、入社直後は皆幼い感じがしますが、やっぱり転職が多い世界だけに、ある程度優秀な人を見ていると、仕事に対しては厳しいなと感じますよ。
      そして、仕事で成果を上げる人達は、社会人としてのマナーやしっかりとした考え方を持っている人が多いな、と。
      日本では、新入社員を教育するという風土があるので、それがよくも悪くも影響するんでしょうね。

      >あと、「小生」を使うのは夏目漱石だけかと思ったら、会社にもいました(笑)

      そうそう。そして、「小生」は女性は使ってはいけないそうです。
      これ、会社の元同僚が使って注意されたので知りましたが、私にとっても発見でした!