Haruki's way

〜スペイン・この不可思議な国〜

San Isidroと闘牛の開始

闘牛場は華やかな社交の場でもあります。

闘牛場は華やかな社交の場でもあります。

5月15日はマドリッドの聖人である聖イシドロ(San Isidro)のお祭です。マドリッドはこの日が祝日なのですが、今年は残念ながら土曜日にあたり、お休みのありがたみは半減・・・。とは言え、多くのマドリッド市民にとってこの日は特別で、大人から子供までがチュラパ/チュラポ(chulapa/chulapo)と呼ばれる衣装を着て、夜遅くまで踊りに興じ、聖イシドロのお菓子をいただきます。この衣装は「民族衣装」と呼ばれるほどのものではなく、19世紀に人々が着用したスタイルだそうで、男性はズボン、チョッキとベレー帽、女性は長いスカートと大きなスカーフ(mantón de Manilaと呼ばれ、フラメンコの衣装の一部としても知られています。)、頭を覆う白いスカーフと頭に添えたカーネーションの花が特徴です。

こんな衣装です。

こんな衣装です。

このマドリッドの聖人である聖イシドロについて簡単にご説明。イシドロは1070年に、マドリッド郊外の貧しい農家の子として生まれます。信心深い彼は毎朝教会にお祈りに行ったそうですが、彼がお祈りをしている間は天使が鍬を持って畑を耕していたとか。こうして天使のお陰で彼はたくさん仕事をこなすことができただけでなく、涸れ地に水を沸き出させたり、死人を生き返らせたりしたそうです。また、彼の死後、その聖遺物に触れた国王フェリペ3世が病から回復したとも言われています。

聖イシドロ

聖イシドロ

ちなみに、この聖イシドロは一度結婚しており、その結婚相手はマリア・トリビア(María Torribia)。スペインには”Santa María de la Cabeza (Saint Mary of the Head)”と言う名前の通りや、イースター中に担がれる御神輿の一つがありますが、これは聖母マリアではなくこのマリア・トリビアのことで、何と聖遺物の一つとして扱われる彼女の「頭」がその由来です。頭というのがちょっとすごいです・・・。

彼らは一男をもうけますが、その子が小さい頃に井戸に落ち、それを救う為に祈ったら井戸の水位が上昇して子供が戻ってきたという伝説があります。それ以来、この夫婦は禁欲生活を送ることを決意し、以後別居したそうです。ちょっとこの辺りがいかにもキリスト教会の教えっぽい気がしなくもないですが・・・(笑)

聖イシドロがローマ教会によって列聖されたのは1622年。イグナシウス・ロヨラ、フランシスコ・ザビエル、アビラの聖テレサと同時だったとのことなので、きっとスペイン・カトリック教会の政治力も働いたのでは・・・などと思います。

さて、話が長くなりましたが、この聖イシドロの祝日の少し前からマドリッドの闘牛場Las Ventasで闘牛が開始されます。色々な時期に開催される闘牛ですが、この聖イシドロのシーズンに開始される闘牛が一番有名で、且つ世界中の闘牛の中で一番重要なイベントとされています。このシーズンの闘牛場の席(特に良い席)を取るのは至難の業。なぜなら、良い席はほとんど闘牛ファンが何年も確保し続けている席だからです。というわけで、実は闘牛場での顔ぶれはほとんど同じだったりします。席がある人同士は毎年このシーズンに顔を合わせるので、皆顔馴染みになるとか。そして、こういう人達と闘牛観戦をすると、皆の知識の多さに驚きます!

闘牛場から牛舎が見えます。

闘牛場から牛舎が見えます。


これから闘牛に出る牛達。

これから闘牛に出る牛達。

私の場合は、ちょうど夫の親戚夫婦が闘牛の大ファンで、シーズンを通じて毎年席を確保しているので、誘われて行ってきました。今回は奥さんのラケル(Raquel)と二人での観戦です。実は今回は二回目。前回は2007年の聖イシドロ祭の頃でしたから、もう3年前ですね。以前の日記に闘牛の流れについては書いてあるので、興味のある方はこちらをどうぞ。

今回は、闘牛場全体の雰囲気、開始前の儀式的要素の方にもかなり注目しました。最初に全員登場するのですが、それぞれの衣装にも意味がありますし、一人の鍵を持った男性が闘牛場に牛を入れる為の許しを請う場面等もあり、非常に興味深かったです。(ちなみに、この人が鍵を開け、牛が入場となるらしいですが、現在ではあくまでも昔のやり方を再現しているだけで、鍵を開けているわけではないとか。)

闘牛開始前の全員入場は本当に華やかです。

闘牛開始前の全員入場は本当に華やかです。

闘牛と一口に言ってもただ単に牛と闘うだけでなく、それぞれの役割を持った人達の登場の仕方にもルールがあるんですよね。その他にも、ピカドール(picador)という馬に乗った人が入場する場面では、その馬は決して闘牛場の真ん中を横切ってはいけず、常に円の外側を歩くとか、このピカドールが牛に槍を突く際の突き加減(強すぎると、その後の闘牛士との戦いで戦意を喪失してしまう反面、弱いと意味がないらしいです。)が重要とか、色々面白かったです。

ピカドールの入場。

ピカドールの入場。


牛が体当たりをかける直前。

牛が体当たりをかける直前。

また、闘牛士(torero)が闘牛を疲れさせる為に赤いマントを使って闘牛を走らせ、さらに突きをかわす様子は見ていて圧巻です。これをパセ(pase)と言いますが、闘牛士が胸を張って一歩も動かず、そこを牛が胸すれすれを通っていくパセが美しいとされます。これが何度も続くと、観客ものってきて、牛が通過する度に「オーレ!」「オーレ!」と言い、終わると拍手の嵐です。ちなみに、胸の高さまで牛が通るようにするパセをパセ・デ・ペチョ(pase de pecho)と言いますが、この技が決まるとさらに拍手が大きくなります。

Pase de pecho

Pase de pecho

また、闘牛をむやみやたらと疲れさせ、闘う気力を失くさせる闘牛士はダメ闘牛士と言われます。観客はかなり厳しいもので、闘牛に下手な傷を与えたり、疲れきっている闘牛になかなか止めをささない闘牛士に対しては、容赦なくブーイングの嵐です。ラケル曰く、「闘牛は動物の命を奪うものだから、いたずらに疲れさせてはいけないのよ。流れに則ってやりつつも、それぞれの闘牛の違いを見抜いて対応するの。良い闘牛士は牛に対して愛情を持って接するから、そこがよく分かっている人がほとんどだけど。命を扱うものだから、観客も厳しくなるのよ。」とのこと。なるほど。

牛に背を向けて歩くパフォーマンス。どうして後ろから突かれないのか不思議です。

牛に背を向けて歩くパフォーマンス。どうして後ろから突かれないのか不思議です。

闘牛を観に来ていたラケルの友人達の話をまとめると、「牛と人間との間にはある種の尊敬・愛情があって、そこに真剣勝負が存在する。だから、もちろん隙を見せれば牛に突かれるし(皆が「これは闘牛士が悪い」と言っていました。厳しい世界です。)、牛に対する愛情より自分の名誉欲が勝れば、牛をいたずらに苦しめるだけ。これは見ていてすぐ分かる。」とのこと。奥が深いです。

セバスティアン・カステーリャの闘牛

セバスティアン・カステーリャの闘牛

今回私たちが見た回では、何と3年前にも見たセバスティアン・カステーリャ(Sebastián Castella)というフランス人の闘牛士が登場。彼のパセは本当に華麗で、牛を完全に制圧する迫力がありました。時には牛の頭に手を当てるだけで牛が立ち止まり、見ているこっちがドキドキしてしまいましたが。今年の闘牛シーズンに、既にフリオ・アパリシオ(Julio Aparicio)という闘牛士が一瞬の隙に牛の角で顎を突かれる事故にあっており、それがかなりセンセーショナルだっただけに、セバスティアンの牛の扱い方に感動してしまいました。

牛に顎を突かれたフリオ・アパリシオ

牛に顎を突かれたフリオ・アパリシオ

彼の技の美しさに感動した人達は、早速白いハンカチを振り始めました。これは、優秀な闘牛士に、その牛の耳を与えてほしいという合図です。最上級であれば耳二つ、上級であれば耳一つが与えられます。今回は耳一つでした。

右手に牛の耳を持っています。

右手に牛の耳を持っています。

さて、この後の牛はどうなるかといいますと・・・ロバにひかれて闘牛場の外に出た牛は、そこにある解体場でお肉として解体されます。確かに、せっかく命を奪ったのなら、最後まで大切にすべきですよね。実際、闘牛場の近くには美味しい牛肉料理のお店がいくつかあると聞きました(^^;)

闘牛場の外にひかれて行った牛。

闘牛場の外にひかれて行った牛。

最近では、闘牛は残酷だからと反対する人達がスペインにもいっぱいいます。確かに、一度闘牛に出た牛を生かしておいても、なかなか人を信用しなくなる等の話を聞いたことはあります。ですが、これだけスペイン文化に深く根付いていて、スペイン文化の象徴として扱われ、何よりもこれだけ色々な産業が絡んでいるもの(服飾、闘牛で有名な牧場、芸能人並の扱いを受ける闘牛士達・・・)を簡単に廃止することは難しいでしょう。今後闘牛場の数は減るかも知れませんが、マドリッドのLas Ventasの闘牛場が消えることは当分ないと思います。

3年ぶりの闘牛、前よりさらに内容が分かって嬉しかったです。とは言え、忘れてしまった内容も沢山。今度はしっかりメモをしなければ・・・できるかしら・・・。

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