アドルフォ・スアレス死去
一昨日、スペインの前首相アドルフォ・スアレス(Adolfo Suárez)が死去しました。日本ではあまり知られていないと思いますが、スペインの現代史を学んだ人にとっては、この政治家の死は大きな衝撃を与えたのではないでしょうか。
スペイン語で「移行」は”transición”と言い、英語の”transition”と同じ語源を持っています。ですが、最初が大文字の”Transición”と言うと、スペインでは70年代後半のフランコの独裁体制から民主主義への移行のことを表します。この”Transición”で重要な役割を担ったのがアドルフォ・スアレスでした。
1936年に勃発したスペイン内戦は、一見共和国派と独立主義派との争いのようですが、スペイン国内の貧富の差、宗教観の違い、それぞれの派を指示する海外の国や政治グループの圧力等が相まって、非常に大きな内線へと発展しました。民族や生活習慣の違いというより、夫々の政治的信条の違い発端となっていた為、時には村や家族を分断しての殺し合いとなりました。1939年に内線が終結してからもその深い傷は至る所に見られ、人々は長い間内線のことを語ろうとはせず、何年もその苦しみを抱えたまま沈黙し続けたそうです。
スペイン内戦の発端となったクーデターの首謀者であるフランシスコ・フランコ(Francisco Franco)が共和国を打倒し、独裁政権を樹立したことで、このスペイン内戦が終了。その後、彼が亡くなる1975年まで35年以上に渡り独裁政権が続き、スペインは厳格なカトリック教徒の国、そして同時に政治的にも文化的にも「遅れた」国となります。
フランコが亡くなる前の1969年、彼が今の王であるフアン・カルロス(Juan Carlos)を自分の後継者に任命します。(正式な名前は非常に長いので、ここでは割愛。)フアン・カルロスの祖父は、スペインが共和制になった時にローマに亡命したという経緯があり、フアン・カルロスは幼少期をイタリアで過ごしています。その後、第二次大戦後にイタリアが共和制になった為、彼はイタリア王家の庇護を受けられずにスペインに戻りますが、そこでフランコの庇護の下スペインで帝王教育を受けることになります。このような経緯から、フランコからフアン・カルロス国王への移行は非常にスムーズなものでした。
フランコが直々に指名した後継者だった為、国王中心の政治が始まるとの皆の予想に反し、フアン・カルロス(国王就任後はフアン・カルロス1世)はスペインを立憲君主制の国へと変革して行きます。その彼の改革を実行したのがスアレスでした。
国王とスアレスの間には既に数年来の信頼関係が出来上がっていましたが、この改革の時期に王が直々にスアレスにこの任務を引き受けてくれるよう依頼し、全力でスアレスをサポートしました。(実は、国王がその前の首相を辞任させたり、スアレスがその後首相になれるように人事替えを画策したりしていたのですが、この国王の行為を後にスアレスは「王が私の為に冠を賭けてくれた。」と言っています。)また、スアレスも国王の期待に応えるべく、独裁体制の敷かれたスペインを、わずか2年半の間に立憲君主制の国に変えました。当時は独裁体制を指示した政治家や関係者がまだ多く政界に残っており、フランコの後継者の国王を支持しても、スアレスを支持しないということもありました。逆に、フランコ派に対立する政治家も数多く、スペインの中央政府に対するテロも後を絶たない時期でした。このような政治的にも社会的にも難しい状況で、解決策や打開策を見つけることは容易ではなかったにも関わらず、スアレスは税や政党結成のシステムの改革に着手し、彼の持つ素晴らしいバランス感覚でそれを急ピッチで進めて行きました。
その後、色々な政党同士の争いや政策上の問題等で遂に彼は1981年に辞任しますが、彼が「移行期」に残した功績は、現在の「ヨーロッパの一部」としてのスペインにとってとても大きな意味を持っています。
このスアレスにアルツハイマーの症状が現れ始めたのが2003年。2005年にはこのことが世間に公表されます。その後はメディアから離れた生活をしていましたが、国王と彼の深い絆はずっと続きます。アルツハイマーの症状が進み、既に政界時代の記憶もなくなった彼に、スペイン王家から送られる最高の栄誉としてToisón de Oroという勲章が贈られました。そして、国王がこの勲章を直接スアレスに渡す為に彼の家を訪ねたことはよく知られています。
スアレスが亡くなったことで、このスペインの激動の「移行期」のキーパーソンが一人消えたことになります。この特別な時期を支えた人を失うということは、この時期を生きた多くのスペイン人にとって、そして、そういったスペイン人と話す機会を持った私達にとって、スペインの歴史の一ページが今終わろうとしているように写るのです。
彼のやり方に対して当時は批判も多かったそうですが、彼が国民に向けて与えたメッセージを読む度に、この時代に生きた政治家の「国をよくしよう」と努力する真摯な姿勢に心を打たれると共に、彼の決断力や勇気に感動さえ覚えます。
この時代のスペインと同じ経験をした国は、恐らくどこにもないと思います。スアレス自身、「私達は私達自身の前例だった(“Nosotros fuimos nuestro propio antecedentes”.)」と言っていますが、真剣に交渉を重ね、人々を説得する為に動き、より良い社会を築き上げようとした彼の姿勢から、私達は多くの事を学ぶことができると感じました。
今日は偶然国会議事堂の近くまで足を伸ばしましたが、彼の死を悼む為の半旗があちこちに見られ、国会議事堂の中の彼の追悼式典の場に向かう人達で、道には長蛇の列ができていました。今日は寒い日でしたが、列に並んで待っている人達を見て、ふと以前アメリカに住んでいた時に知ったチェロキーインディアンの諺を思い出しました。
When you were born you cried and people rejoiced.
Live so that when you die people cry and you rejoice.
あなたが生まれた時、あなたは泣き、人々は喜んだ。
あなたがこの世を去る時、人々が泣き、あなたが喜ぶような人生を送りなさい。
偉大な政治家の死は悲しいですが、きっと彼の人生は、多くの人にスペイン人としての誇りと希望を与えたのだと思います。
スペインでのロングステイ7年目のippiki-ohkamiと申します。
アルメリアに旅行中のホテルでAdorf Suarez の死去のニュースをテレビで
見ました。詳しく知るためネットを検索しましたところ、あなたの記事が大変
よくまとめられていたので、私のブログで紹介させていただきました。
事後となりましたが、よろしくお願いいたします。
ippiki-ohkamiさん、
コメントをありがとうございました。
本当は書きたい事が沢山あり、どこを削ぎ落とすかで苦労していましたので、お褒めの言葉をいただけて嬉しいです。
今後ともどうぞ宜しくお願いいたします。
Harukiさま
初めまして。東京在住のJasminと申します。英→日翻訳の仕事をしております。
かなり以前、オランダに1年間住んでおりました。
スアレス氏の死去をNHKの海外ニュースで知り、検索してHarukiさまの記事にたどりつきました。
実に読みやすくまとめられていて、とても参考になりました!
スペインにとって重要な時期にスアレス氏の果たした役割が
きわめて大きかったことを改めて認識した次第です。
これからも貴ブログを拝見するのを楽しみにしております。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
Jasminさま
お褒めの言葉、ありがとうございます。
インターネットですぐに情報が検索できる時代なので、きっと誰かが既に書いているとも思ったのですが、実際に彼の死の衝撃の大きさとスペイン人の反応を目の当たりにし、これはどうしても書かなければと思った次第です。
皆さんからの反応を直に感じることができ、とても嬉しいです。
こちらこそ、どうぞ今後ともよろしくお願いいたします。