エクストゥレマドゥラ旅行記②グアダルーペ
「グアダルーペの聖母(Virgen de Guadalupe, Nuestra Señora de Guadalupe, Santa María de Guadalupe)」と言うと、世界的に一番よく知られているのはメキシコ・シティにある聖母だと思います。そもそもは、エクストゥレマドゥラ出身のコンキスタドールがメキシコを支配する際に持ち込んだグアダルーペの聖母崇拝が元になっています。現地の人達にキリスト教を布教する際、この聖母崇拝が現地のアステカ文化で崇拝される女神トナンツィン(Tonantzin)と混ざり、土地に定着していったとか。(この聖母が16世紀に一人のメキシコ人の男性の前に現れ、その場所に教会を建てるよう言ったと伝えられています。)その後、度々「聖母の奇跡」を目にした人達の間で教会を建てる動きが高まり、聖母が現れたメキシコ・シティ郊外のテペヤック(Tepeyac)にグアダルーペ寺院が建立されました。
このメキシコのグアダルーペの聖母像は、アステカの女神との融合ということで、その絵もよく知られており、メキシコ人にとっては自分たちのアイデンティティーの象徴の一部ともされ、「メキシコの守護聖人(Patrona de México)」とされています。
では、このメキシコのグアダルーペの聖母の元となったエクストゥレマドゥラの聖母はどのような聖母でしょうか。
この聖母は、キリストの使徒「ルカによる福音書」で知られるルカが作ったもので、彼が亡くなって数百年経った⒋世紀、コンスタンチノープルに彼の遺体と共に到着します。非常に尊い聖母像とされ、この聖母像のお陰でローマの疫病が鎮まった等の逸話も存在します。その後、西暦580年にローマ教皇グレゴリウス1世(Gregorio el Grande)がセビージャの大司教レアンデル(Leander)に寄贈。そしてイベリア半島へのムスリムの絶え間ない侵攻を受け、711年にこの像とその由来を語る書物が「異教徒から聖母を守るため」と言う理由で隠されますが、その経緯を知っていた人達がレコンキスタの最中に死亡し、その後長い間誰もこの聖母がどこにあるかを知らずにいたと言われています。
この聖母が見つかったのが、なんとそれから600年も経った1326年。ヒル・コルデロ(Gil Cordero)という羊飼いが自分の牛を探していると、光り輝く女性が木立から姿を現し、「宝」が隠された場所を指し示した後、そこに礼拝堂を建てるように依頼したとされています。教会関係者がこの場所を見てみると、洞窟へと続く入り口が見つかり、その中を進むと、例の聖母とその由来を語る書物が見つかったそうです。聖母像の保存状態は非常に良好でした。この聖母が見つかった場所の近くにあった村の名前から、この聖母は「グアダルーペの聖母」と呼ばれるようになり、この場所に礼拝堂が建設されました。その後、王家の庇護もあり、この場所に王立修道院が建設され、その後この修道院はサンティアゴ・デ・コンポステーラに次ぐイベリア半島の巡礼地として知られるようになりました。サンティアゴ・デ・コンポステーラに続く道は”Camino de Santiago”として非常に有名ですが、なんとこのグアダルーペに行く道も”Caminos de Guadalupe”として存在していたようです。(今ではほとんど使われていませんが。)
修道院の中には、王家や裕福な貴族たちがこの聖母に寄進した素晴らしい衣装やベールが聖遺物と共に大切に保管されています。それらは、トレドの大聖堂に保管された教皇や司教の衣装に勝るとも劣らない凝った作りで、美しい宝石や真珠が金糸で縫い付けられています。
この聖母は世界中に存在する「黒い聖母」の一つとしてよく知られています。黒い聖母には色々な理由があり、それぞれの土地に存在する「美」の概念と混ざって黒い聖母が作られたという地域や、1000年以上の歳月を経て、実は汚染によって黒くなっていた聖母というのもよく見つかるそうです。(修復作業で発見されることが多いそうです。)このグアダルーペの聖母に関しては、修道院を訪問した際、聖書にある「雅歌」あるいは「ソロモンの雅歌」と言う箇所にある「エルサレムのおとめたちよ/わたしは黒いけれども愛らしい。ケダルの天幕、ソロモンの幕屋のように。(“Negra soy, pero graciosa, hijas de Jerusalén…”)」という箇所から来ているという説明を受けました。つまり、人と教会や神との関係を表したとされる「雅歌」の中で、「わたしは黒いけれども愛らしい」とあるのは、聖母マリアの美しさも含んでいるという解釈のようです。個人的には、この解釈をするのは非常に難しいと思いますが…。
ちなみに、クリストファー・コロンブス(航海の前後に祈りを捧げに訪問)もこのグアダルーペの聖母を訪ねています。
私たちが到着した日は小雨の降る寒い日で、途中で道を間違えたりした上、修道院へと続く最後の道が狭い急斜面だったので閉口しましたが、それでも非常に有意義な滞在となりました。
まずは、腹ごしらえに現地のレストランでグアダルーペ風トマトスープなるものをいただきました。これは、前日のちょっと固くなったパンを再利用するというものですが、トマトやピーマン、赤ピーマン、玉ねぎ、オリーブオイル等でできた温かいスープに浸してあるパンが口の中で溶けるような感じで、寒い体をしっかり温めてくれました。このようなスープはエクストゥレマドゥラ全域で見られますが、ここのスープも負けず劣らずとても美味しかったです。
その後にいただいたのは、「グアダルーペ風」タラのフライ。このタラは塩漬けのタラを数日かけて水にさらして塩気を抜いたもので、小麦粉をつけ、オリーブオイルでカリッと揚げたものです。これまた、マドリッドを含め、他の地域でも食べたことがある料理でしたが、外がカリッとしていて中がしっとりで、非常に美味しかったです。
この王立修道院、見所は非常にたくさんあります。まず、14〜15世紀に造られたという外壁と入口の塔の美しさも特筆に値します。これらはゴシック建築とムデハル様式が合わさったもので、イスラム文化の影響が多分に見られます。
その他、実際にミサで使われたと言う巨大な祈祷書の数々(全て手書きで絵も描かれています)や、有名な画家や彫刻家の作品が展示されている部屋の数々が、修道院の中庭を囲む形の建物の1階部分にありました。「巨大な祈祷書」がどれ位巨大かと言えば、本の高さが1.2m、本を開いた時の幅が1.5mと言えばお分りいただけるでしょうか。美しい彩色が施され、その膨大な作業時間を想像するだけで気が遠くなりそうですが…。これも、当時の人々の信仰の成せる業だったのでしょう。有名な画家の中には、スルバラン、ゴヤ、ベラスケス、ムリーリョ等も含まれます。こういった有名な画家の作品を間近に見ることができ、この王立修道院が王家の手厚い庇護の元で大きくなっていったことを改めて感じました。
聖人の聖遺物が保管された部屋(Relicario)も圧感でした。特にこの修道院にある聖ヨセフ礼拝堂(Capilla de San José)は、有名な聖人の聖遺物(relíquia)があるという理由はもちろんですが、建物自体の建築が素晴らしく、天井画の美しさには思わずため息が漏れました。写真撮影が禁止だったため、何も載せられないのが非常に残念です。
そして、最後にはバロック様式の”Camarín”と呼ばれる部屋に案内されます。ここに有名な黒い聖母があり、私たちの訪問中にはこの聖母を間近に見ることができるようになっています。(普段は、この部屋と反対側=「Basilica, 教会堂」の祭壇の上部に見えるようになっています。)この聖母に歩み寄り、近くに立つ修道士が持つ黒い聖母像のメダルにキスができるようになっており、これにてツアー終了となります。教会堂では遥か遠くに見えるこの聖母像を至近距離で見ることができ、個人的には非常に感動しました。
車以外の交通手段はなく、ちょっと行きにくい場所ではありますが、行くだけの価値はあると思う旅でした。