Haruki's way

〜スペイン・この不可思議な国〜

週末旅行クエンカ

最近仕事が忙しく、午前様が続いていた夫。そして、仕事の後にワンオペ育児で三人のモンスター相手に疲弊していた私は、どこかで是非とも息抜きをしたいと考えていました。車に酔いやすい長女、まだ長い間おとなしくしていられない次女のことを考え、①マドリッドから車で2時間以内、②比較的真っ直ぐの道(くねくね厳禁)、③二泊三日でもそれなりに見応えのある場所、という条件で検索し、最終的にはクエンカ(Cuenca)に行くことに決定。週末を家族で過ごして来ました。

クエンカの景色

クエンカは、カスティーリャ・ラ・マンチャ州のクエンカ県にある県都です。8世紀にムスリムがこの地域を征服した際、この地の要塞としての機能に気づき、「クンカ(kunka)」と呼ばれる城塞を築いたことが、この名前の由来になっているとか。

砦もすごいですが、この岩でできた自然の砦も圧巻です。

拡大図。

1177年、国土回復運動の一環として、アルフォンソ8世がクエンカをムスリムから奪還。この王の統治後から、クエンカは「ムスリム居住地区」「ユダヤ人居住地区」「キリスト教の教区(複数)」に分割され、トレドやその他の当時のスペインの都市同様、異なった宗教・文化を持つ人々が共存する都市として大いに発展しました。

当時のヨーロッパの他の国ではあり得なかったこの「共存」が、スペインの懐の深さであり、スペイン文化の多様性に繋がっているのだとしみじみ思います。

その後、クエンカは発展を続け、15世紀には、繊維工業や牧畜が主要産業となり、人口も15,000人までに増加したものの、その後ペストの広がりや干ばつにより人口は減少を続け、17世紀には何と1,500人までの落ち込みを見せます。

その後、クエンカは様々な困難に出会い、特に”Carlist War”と呼ばれる王位継承戦争の時期には都市の重要な部分が焼失し、多くの死者や負傷者を出しました。その後、鉄道の発展と共にクエンカの経済は復興を遂げますが、今度はスペイン内戦でまた多くの困難に見舞われます。そのような歴史を経て、60年代から本格的な復興を開始したクエンカは、中世から残る美しい要塞や大聖堂の他、「宙づりの家(casas colgadas)」として知られている、崖に反り出すように建てられた建物等の独特の美しさや、自然の美しさも相まって、観光地としても知られるようになります。そして、1996年にはユネスコの世界遺産として認定され、今に至ります。

有名なクエンカのサン・パブロ橋。写真に長女が入ってしまいましたが・・・。

クエンカまでは車でちょうど2時間程度。前日までに荷造りをしておき、金曜に子供達を迎えに行った後、そのまま車に荷物を積み込み、子供達と一緒に出発です。ところが・・・そういう時に限って、なんと家の前の街路樹の幹が折れ、消防車が撤去するまで家に入れなくなるというハプニングもありました。ちょうど我が家の入り口が塞がれるなんて・・・。

 

初めての経験でしたが、子供達は消防車に大いに喜び、これまた一大イベントとなりました。

野生の花が至る所に咲いていました。

 

旅はこれからです・・・。

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